参政党への期待は国民参政権の実現
7月の参議院選挙で参政党が躍進し、日本の政治に変化の兆しが見えます。これまでも新しい政党が躍進したことはありましたが、殆どが分裂してできた党であり、議員には知った顔ぶれが多数いました。しかし参政党の場合、殆どが新顔でありこれまで一市民だった人です。そんな候補に多くの有権者が投票したのですから、有権者の意識が変わったことが伺えます。私は参政党の名前は知っていましたが、関心はありませんでした。「選挙の街頭演説にやけに人が集まる党」という印象だけでした。「何か宗教的背景があるのでは」と思っていました。「そのうち消えるだろう」と思っていたら地方議会で議員を増やしており、「割としっかりした政党かも」という印象に変わってきました。そんな最中での躍進ですが、実は私も今回初めて参政党に投票しました。それは他の党に入れても何も変わらないと思ったからです。参政党に今の政党とは違う何かを感じたからです。今回参政党に投票した多くの有権者が私のような感じではないでしょうか。
選挙後参政党の躍進についてマスコミでは「ポピュリズム」の結果だという論調が多数でした。「ポピュリズム」では説明になっておらず、その内容を具体的に提示するのがマスコミ(あるいは識者)の役割ですが、オールドメディア化したマスコミは分析力が退化し、ポピュリズムというマジックワードしか思い着かなかったようです。しかしさすがにこれでは恥ずかしくなったのかその後党費を支払っている党員が約85,000人もいることに着目し、参政党躍進の理由を地道な活動に求める論調も増えてきました。
参政党を支援している人は一般生活者が多く、また参政党の幹部も他の党のように東大や早慶卒のエリートではありません。だから参政党幹部や候補者の演説会は一般生活者が演説しているようで、周りの同じ一般生活者のシンパシーが得られているように思われます。一般生活者はこれまで比較的選挙に無関心で投票に行かなかった人が多いように思われますが、参政党の登場によって「政治に参加してみようかな」「政治もおもしろいよね」という気持ちになっているように思われます。これは政治に参加する権利(参政権)への目覚めであり、参政党の功績はこれまで参政権の意識が乏しかった一般生活者にこの意識を覚醒させたことにあります。自民党や立憲民主党など既存の政党では、有権者が持っているのは投票権で、参政権は議員のものという取扱になっていました。その結果政治は有権者の意思とはかけ離れたものとなり、有権者は政治に無関心になっていました。要するに有権者には投票権はあっても参政権はなかったのです。これに対して参政党(と言う名前)にはそれを打破する、一般生活者の声に沿った政治を行うという期待があります。これが参政党躍進の理由であり、参政党にこの姿勢がある限り躍進は止まらないことになります。