卓越大を非卓越委員が認定する不思議

文部科学省は12月19日、世界最高の研究水準を目指す「国際卓越研究大学」(卓越大)の2回目の公募で、東京科学大と京都大を候補として選んだと発表しました。東京科学大は今年度中に正式に認定される見込みで、2026年度分から助成を開始されます。京大は研究力の強化に向けた計画が具体化したのを26年末までに確認してから認定される予定です。東京大は計画の実効性が不透明だとして継続審査となっていますが、認定は間違いありません。

卓越大認定校には、政府が2020年度に設立した10兆円規模の「大学ファンド(基金)」の運用益から助成金が交付され、2024年に第1号に選定された東北大は2025、2026年度に合計323億円が交付されています。東京科学大の2026年度の助成額は110億円となる見込みとのことです。国からの運営交付金が毎年減額されている国立大学にとっては喉から手がでるような金額であり、激しい争奪戦が繰り広げられましたが、第1号に認定された東北大学で下限を設定し、今回の3校で打ち止めとなるようです。日本で世界にトップ大学と戦える大学は東大と京大しかなく、これでは企画として面白くないことから、東北大学と東京科学大学を追加するというのがシナリオです。東北大はそんな大学でなはなく、東京科学大学は東京工業大学と東京医科歯科大学を合併させて卓越大に認定するというシナリオが出来上がっていたと思われ、両大学OBに卓越大プロジェクトに大きな影響力を持つ官僚または政治家がいたことが伺えます(東京科学大は工学部中心でアプリケーションの研究に強みがあり、基礎研究は不得手だから卓越大には相応しくない。早慶に近い大学。)。

卓越大学制度は大学の経営力を強める制度であり、研究が本部により統制されることを意味します。卓越大の審査でも東北大学が第1号に認定された理由として大学の方針が大学内まで浸透していたことを挙げており、京大が今回保留となったのは大学の方針が大学内まで浸透していないことを挙げています。このように卓越大学では大学本部の方針によって研究分野が決定され研究者が採用されますから、本部で研究分野の絞り込みが行われます。研究分野の決定においては決定に関与する委員の承認を得る必要があるため、欧米の研究動向が反映されます。その結果欧米で始まった研究の後追い研究的な分野が選定されることになります。これは卓越大学が理化学研究所や産業総合研究所に近くなることを意味します。日本で一番研究費が潤沢で研究者が高給を得ているのは理化学研究所だと思われますが、理化学研究所からはノーベル賞受賞者は出ていません。一方理化学研究所は2003年にノーベル化学賞受賞者野依良治氏を理事長に迎えており、理化学研究所はノーベル賞を受賞するような研究を行う研究機関ではなく、ノーベル賞後の研究を行う研究機関となっています。これは理化学研究所の研究テーマが本部で決定されることから来るものです(既に何らかの研究実績がないと研究テーマに決定できない)。ノーベル賞については例えば今年の日本人受賞者坂口教授を見れば分かるように当初世界の誰もやっていかかった(見向きもされなかった)研究をひっそりと長年やって来た成果であり、本部で研究テーマを選定していたら先ずやらせてもらえていません。1987年にノーベル医学生理学賞を受賞したMITの利根川教授は「ノーベル賞は取りに行くものではない。偶然に転がり込んで来るものだ」と言っています。卓越大学を作る目的の1つにノーベル賞受賞者を増やすことが上げられていますが、大学本部が研究を統制すれば世界で誰もやっていない研究はやれなくなり、ノーベル賞が転がり込むような研究がなくなってしまいます。その結果ノーベル賞を受賞する日本人は確実に減ります。今回京大が保留となったのは、研究に対する本部の統制が弱い(研究は学部に委ねている)からとなっていますが、これが京大のやり方であり、京大からノーベル賞が多い原因です。これは京大の特色として残すべきです。本来京大は卓越大学制度を検証するためにも卓越大学と同額の助成金を与え、京大の好きなように(野放図に)やらせてみるべきです。おそらくこの野放図京大から多くのノーベル賞が出ます。逆に言うと卓越大制度は日本からノーベル賞を根絶する制度です。

卓越大学を認定する有識者委員は凡人で構成されており、なぜこのような凡人が卓越大学を認定できるのか不思議です。委員の中にはノーベル賞受賞者1人もいないし、金丸氏のような中途半端に企業人が入っているのも謎です。上山座長は慶大の教授であり、国立大学の制度である卓越大学を決める委員会の座長を務めるのには違和感があります。それに上山教授は大阪維新の会の大阪都構想の顧問を務めた人であり、政治色が強過ぎますし、自然科学の研究とは無縁であり研究力強化がテーマであるはずの卓越大検討委員には相応しくないと思われます。このような非卓越委員が卓越大を決めるところに卓越大制度の欠陥があります。