天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず
これは福沢諭吉(以下諭吉)が「学問のすすめ」の冒頭に書いた有名な言葉です。学校の教科書では、「人間はみな平等」という意味と教えらたような気がします。しかし、諭吉が作った慶応義塾大学(以下慶応大学)の有り様を見るにつけ、別の意味があるのではないかと感じていました。慶応大学は諭吉が1858年に開設した蘭塾を起源とする日本有数の歴史を誇る名門大学であり、諭吉の建学精神に基づいた教育を続けていると思われます。慶応大学は、一般的には御坊っちゃん大学と言われ、金持ちの子弟が多いことで有名です。もちろん学力も私大最高峰であり、東大程のオールマイティでは無いけれど、範囲を限れば東大生にも負けない学力を持つ学生が入学しています。しかし、最大の特徴は、幼稚舎から大学までの一貫教育体制が確立していることで、ここで一貫教育を受けるためには、相当の経済力がある家庭であることが必要です。特に幼稚舎に入るとなると、親は若い世代となりますから、日本の終身雇用制の基では幼稚舎に遣れるだけの収入がある家庭は限られます。その結果、幼稚舎に入る子供の家庭は、親が経営者や資産家、若くして高収入を得ている家庭となります。さらに親の面接もあるそうですから、親には品格が必要となります。その結果、幼稚舎には、日本の上流階級の子弟が集まることとなります。そして、上流社会に必要な教育や躾が施されるのですから、幼稚舎への合格は上流社会へのパスポートのようなものになっています。
その後、中学、高校と間口は広くなりますが、入学するためには親に相当の経済力と社会的地位が必要なことは変わりません。先ず貧乏人の子弟は志願しないし、学校としても入学を許可しないのではないでしょうか。
こうして現在慶応大学の入学者のうち、約4割は系列高校からの無試験入学者(内部進学)と言われています。慶応大学の高い学力偏差値は、それ以外の約6割の一般入学者の数字なのです。系列高校から内部進学する場合、校内試験で上位3分の1以内に入っていれば希望の学部に進学でき、それ以下だと調整されると言います。果たして、校内試験で上位3分の1以内の者がどれだけ一般入試で合格できるのでしょうか。2割以下ではないかと思います。それ以上に、幼稚舎、中学、高校に入学した時点で慶応大学への進学が確定するので、勉強をしない者が相当出てくると考えられます。即ち、慶応大学の内部進学者の中には、相当学力が落ちる者がいると考えた方が良いと思われます。
しかし、内部進学者の家庭は、経済的に豊かな家庭が多く、親は経営者や医者、弁護士、会計士、大企業の管理職などが多いようです。子供は親の背中を見て育ち、親の立ち居振る舞いを真似ますから、その子供たちは知らず知らずのうちに例えば大企業で求められる振舞いを身に着けることになります。その結果、大企業の視点で見れば、明るく社交性があり、入社後活躍できそうな学生が多いという評価になります。地方出身の学生が先ず東京という都市に圧倒され、かつ会社という大人社会で右往左往している中で、慶応大学出身者は入社当初から違和感なく会社に溶け込んでいる人が多いように思います。ここは凄い所です。
慶応大学は、最近学校推薦や自己推薦による入学者を増やしているようです。これは、高校在学時に勉強以外で顕著な成績を挙げた者を、試験を経ずに入学させる制度です。スポーツや芸術、芸能などで今後活躍が期待される人が多いようです。これらの者が大学在学時または卒業後、夫々の分野で活躍すれば、慶応大学の名を高めることになり、マーケティング効果を狙った制度だと思われます。
慶応大学の卒業生は、実業界で活躍し、大企業においては最大勢力ですが、卒業生の結束が強いのも特徴です。慶応大学の同窓会三田会は、大企業を中心に多数の卒業生が加入し、固い結束を誇っています。通常大学では、クラブ活動か同好会に属していない限り、親しい友人はできません。社会人になっても、高校や中学のときの友人との繋がりが強い人が多いと思います。その点慶応大学の内部進学者は、長い人は幼稚舎から15年、高校からでも7年間は同窓ですから、結束が強くなるのは当然です。それに約6割の一般試験入学者が便乗している格好です。
これが、慶応大学出身者が実業界で成功し、上流階層を占めるのに大きな効果を発揮しています。中には、オーナー企業でもないのに、社長になったら最後、代々社長を慶応大学出身者に引き継ぐ者まで出現しています。こうして、慶応大学卒業者は最も上流階層に属する者が多い集団となっています。
この現実を考えると、福沢諭吉が「学問のすすめ」において、冒頭に「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉を引用したのは、人は平等に生まれてはいるが、貧富の差や社会的地位の上下があるのが現実であり、慶応大学(義塾)に集った者には、社会で必要とされる教育を実施し、必ず社会の上流階層に属するようにする、下層階層には属させないという決意表明のように思われます。