事業承継対策、サントリーのビーム買収が参考になる

少し古い話になりますが、2014年1月サントリーは米国ウィスキー大手ビームを約1兆6500億円で買収しました。ビームは、直前決算の売上高が約2580億円、純利益が約391億円でしたので、買収金額が売上高の6.4倍、純利益の42倍にもなり、この買収には多くの疑問の声が上がりました。

私は、この発表を聞いて、直ぐにピンときました。これは、事業承継対策であると。サントリーは、鳥井信治郎氏が1899年に創業した鳥井商店を母体としており、次男が姻戚の佐治姓を名乗ったことから、鳥井・佐治家が株式のほとんどを持つ同族会社です。サントリーはウィスキー、飲料などの製造販売で優良企業でしたので、常に事業承継、特に相続税対策が重要でした。これに対しては、サントリー株式を鳥井・佐治一族の持ち株会社寿不動産に集めることによって、乗り切っていました。こうすると一族個人の相続財産となる株式は、サントリー株式ではなく、寿不動産株式となります。長い間、相続対象である非上場会社の株式の株価は、純資産価格方式、類似会社批准方式および類似業種批准方式により算定し、そのうち一番低い株価とすることになっていました。純資産価格方式では、寿不動産の資産を相続税評価規則に定める評価方式で算定して、寿不動産の相続税計算の基となる財産額を算定します。この方式だと時価方式の6、7割くらいの金額になります。それに対して、類似会社批准方式と類似業種批准方式では、株式市場に上場している寿不動産と事業内容が似ている会社または業種の1株当たり利益、配当、純資産と寿不動産のそれを比較し、株価を算定します。寿不動産は規模が小さく、不動産と株式を持つ特殊な会社なので、上場している類似会社はなく、類似業種批准方式によることになります。寿不動産の類似業種は不動産業になりますが、不動産業は利益が低く、配当も少なく、純資産も少ない業種であり、株価は高くありませんでした。加えて寿不動産が利益を出さず、配当も行わず、かつ純資産も少ないとなると、寿不動産の株価は極めて安いものとなりました。その結果、鳥井・佐治一族が持つ寿不動産の株式の評価額も安いものとなり、相続税を払うためにサントリー株式の一部を売却するようなことにはならなかったのです。この方式は、多くの同族会社で採用され、特に有名なものは、西武鉄道グループの持ち株会社国土計画を利用したものでした。

ところがその後法律改正により、持ち株会社では、類似会社批准方式および類似業種批准方式が使えなくなったのです。サントリーは優良企業であり、相続税法上サントリー株式の株価は、上場しているキリンビールなどの類似会社と比較して決められるため、サントリー株式の評価総額は数千億円となります。この結果サントリー株式を全て保有している寿不動産の純資産価格も数千億円の評価額となり、寿不動産の株主は、持ち株割合に基づきこの株式を相続することになったのです。相続税の最高税率は当時70%でしたので、寿不動産の株主が亡くなれば、普通なら相続税を払えなくなります。そこで寿不動産がサントリー株式を売却し、株主に配当を支払うことによって納税額を確保することになります。しかし、これでは事業承継はままなりません。そこで鳥井・佐治一族は、新たな事業承継対策を打つ必要性に迫られたのです。

2009年4月、サントリーは、自らは事業を行わず傘下の事業会社の株式を持ち、事業を統括する機能に徹した純粋持ち株会社に移行して、サントリーホールディング(SH)と名称を変えました。同族会社体制を維持するための決断です。と言っても純粋持ち株会社の株式の評価は、純資産価格方式で行われますので、このままでは前の状態と同じです。そこで動き出したのがビーム買収前に話題となったキリンビールとの合併です。サントリーがキリンビールと合併すれば、上場しているキリンビールの株式が合併比率に応じてサントリーの株主である寿不動産に交付されます。この話は合併比率が問題となり、サントリーが主張する合併比率では寿不動産が30%を超える筆頭株主になり、合併会社が鳥井・佐治家の同族会社のようになることから、キリンビール側が嫌い、破談となりました。鳥井・佐治家としては、合併によって合併会社の筆頭株主となり、合併会社に鳥井・佐治家の影響力を残し、かつ相続税は合併会社の株式を処分して納税できるようにする意図だったと考えられます。

その後出て来たのが本件のビーム買収です。サントリーはその前年2013年7月に子会社サントリー食品インターナショナル(SBF)を上場させています。この結果、SBFの株式の時価総額は約1兆円となりましたので、公開後その約60%の株式を持つSHは、約6000億円のSBF株式を持つこととなりました。この状態で寿不動産の株式を持つ鳥井・佐治一族の誰かが亡くなれば、大変な相続税額となります。それでも今度はSBF株式の一部を株式市場で売却すれ納税資金は作れます。しかし、SBF株式を売却しないで済む方法があるのがベストです。そこで考えられたのが、ビーム買収です。

SBFが株式公開してSHが時価総額6000億円の株式資産を抱え込んだのですから、相続税計算上これを帳消しにすればよいのです。寿不動産が持つSHの株価は、SHの資産の評価額から借入金を差し引いて算定されますから、6000億円の借入金を起こせばよいことになります。さらにSBFの利益が増え続けることを考えると、もっと大きな借入をしておくことが考えられます。借入を起こすと言って、単に銀行からお金を借りるだけだと支払い利息をどうやって捻出するかが問題となります。ならば、支払い利息が払えるくらいの利益を出せる会社を買えばよいのです。それも、これは事業承継対策ですから、50年、100年にわたって確実に支払い利息以上の利益を出し続けられる会社が望ましいのです。ビームは、ブランド力がものを言い、かつ急激な成長はなく、製品化に長時間を要するウィスキー業界で世界3位にあり、この条件に合致するのです。

従って、ビームには大きく売上や利益を伸ばすことは期待されていません。長く確実に今のまま事業を続けて行ってくれればよいのです。SHは、SHの収入をビーム買収に伴う借入金の利息支払い(年間約250億円)とビームののれん代約6000億円の償却費(20年償却。年間300億円)、商標権約1兆円の償却費(10年償却。年間1000億円)で相殺し、SHの純資産が増加しないようにしていると考えられます。SHグループは年間約2500億円の営業利益を上げており、グループの収益力からすれば1兆6500億円の借入金は10年以内で返済できる金額であり、財務的には問題ありません。

このサントリーのビーム買収による事業承継対策は、非上場で高収益な同族会社にとっては、参考になる事業承継対策だと思われます。