嫌いなのに婚姻届けに署名捺印させるようなもの

これは、NHK受信契約のことです。NHKは見ないにも関わらず、受信契約を結べということですから、本人の意思に反しても署名押印させるということであり、「嫌いなのに婚姻届けに署名押印させるようなもの」というわけです。

放送法64条は、受信設備を付けたらNHKと受信契約を結ばなければならないと定めています。従って、この法律がある限り、アンテナなどの受信設備があれば、NHKと受信契約を結ばなければならないことになります。この放送法は、1950年にできた法律です。戦前放送が国家統制下にあり、国家に都合の良い放送しかされなかった反省から、国民から徴収する視聴料で運営される放送局NHKを作り、視聴料の徴収が始まったたようです。

当初NHKの放送内容は、国民に必要なニュースなどの情報に限られていましたが、民間放送局がなかったことから、ドラマ、歌謡番組、スポーツ中継など今では民間放送がカバーする内容まで拡大しました。その後民間放送局が作られ、ドラマ、歌謡番組、スポーツ中継などは民間放送で間に合うにも関わらず、NHKは自己の放送範囲に含めています。さらにその後衛星放送が開始され、衛星放送料金がそれまでの視聴料に加算されました。

現在、NHKを取り巻く状況は、放送法ができた1950年頃と比べると様変わりになっています。1つは、民間放送の充実であり、2つ目は衛生放送を含めたチャネルの多様化、3つ目は、インターネットの発達です。今の状況では、公共放送としてのNHKの業務範囲は、こんなに必要ありません。公共放送として必要な放送範囲は、ニュース、天気予想、国会中継、政権放送、選挙放送、災害放送などで十分です。NHKの今の実態は、公共放送部門を持った巨大な民間放送局なのです。それをNHKは全体を公共放送と称して、民間放送に該当する部門の運営費まで、受信料で賄っているのです。

この放送法につき、昨年12月最高裁の判断が示されました。最高裁は、放送法の規定は「立法府の裁量の範囲内」であり、司法が違憲と判断することはできない、すなわち合憲であるとしました。「立法府の裁量の範囲内」としたことは、異論がでる余地があることを認めているということです。しかし、この判断は間違っています。最初に述べたように、受信料契約は、「嫌いなのに婚姻届けに署名押印させるようなもの」であり、憲法の最高法理である個人の意思の尊厳を犯しています。代案がなければ、まだ「立法府の裁量の範囲内」と言えますが、代案はあります。というのは、見る見ないに関係なく受信契約を結び受信料を払えということは、受信料の実体は、受信契約の対価ではなく、公共放送負担金、すなわち税金であるということです。ならば、公共放送負担税として所得に応じて徴収すればよいのです。そうすれば、受信可能世帯の約20%に上る受信料不払いも解消できますし、受信契約および受信料徴収のための訪問をめぐるトラブルも解消できます。最高裁は、放送法を違憲とすると受信料の支払いがストップし、NHKが放送できなくなることを重視したと考えられます。しかし、それなら、国会議員選挙の一票の格差問題のように、判決の中で放送法を改正する努力を立法府に求めるべきでした。小法廷から大法廷に回したにも関わらず、最高裁の裁判官誰一人として、違憲の疑いさえ述べていません。違憲判決や違憲の疑いの意見を述べることは、立法府や行政府と対立することになり、裁判官にはこれらと戦う体力と気力が必要となります。今の60歳後半から70歳で構成された法曹界の名誉職的な最高裁裁判官では、これは期待できないように思います。

NHK受信料は、所得に関係なく全世帯一律(月2,230円)となっているため、低所得者にとっては厳しい負担となっています。日本には年収200万円未満の所得者が全所得者の約20%います。この割合は受信料不払い世帯の割合とほぼ同じです。受信料不払いの問題は、受信料を払わない不届き者という問題ではなく、生活が苦しいため、払えない者がたくさんいるという問題なのです。

今後年金は減額され、医療費負担などが上がる計画になっています。そうなると低所得者は確実に生活できなくなります。これを防ぐためには、NHK受信料の見直し、ひいてはNHKの経営体制の見直し(公共放送局と民間放送局への分離)が不可欠です。