熊本県人は田舎のデカルト?

熊本県人の特徴として、古くから「肥後もっこす」という言葉が使われます。土佐の「いごっそう」、津軽の「じょっぱり」と並び、頑固者の表現となっています。熊本県人の特徴を表す言葉としてそれ以外に「肥後の引き倒し」という言葉もあります。これは、熊本県人は成功しそうな人や頭角を現した人を寄ってたかって足を引っ張り引きずり下ろす、という意味です。だから、熊本からは突出した成功者やリーダーが出ないと言います。これと正反対なのが鹿児島県人の特徴を表す「芋ずる」という言葉です。これは、薩摩の人は成功しそうな人をみんなで応援し盛り立て、成功した人は応援してくれた人に感謝し引き上げて、みんなが幸せになるように持っていく、というものです。だから、薩摩からは明治維新で活躍した人が多数出たと言います。同じく薩摩の特徴と言われる「郷中教育」という制度も、芋ずるの1つの側面だと思われます。

熊本県人の特徴を表すという「肥後もっこす」や「肥後の引き倒し」が事実だとすると、熊本県人や熊本県の将来は明るくないことになります。これまで熊本県人からは、学者や作家など個人の資質を生かした分野では名を成す人が出ているのですが、組織や集団のトップになる人はあまり出ていないのは事実です。やはり、言われているような県民性が影響しているように思います。私も熊本出身で、サラリーマンを長く勤めましたが、組織の中でやっていくのが苦痛で仕方ありませんでした。そのため案の定出世はしませんでした。それでもかなり自分のやりたいように仕事ができて、幸せなサラリーマン人生を送れたと思っています。そういう私が分析するに、「肥後もっこす」と「肥後の引き倒し」は、あまりにも単純な定型化のような気がします。

熊本は、戦国時代に豊臣秀吉が薩摩を破り九州を平定し、佐々成正を領主に送り込むまで、一度も国主が存在しませんでした。佐々成正が肥後の国主となったときには、52人の国人が割拠していたと言います。この実態を無視して佐々成正が肥後を直接支配しようと検知を始めたため、権益を犯される国人たちが反乱を起こします。これが1587年に起こった肥後国人一揆です。これを佐々成正単独では鎮圧できず、秀吉の命で他国から加勢が入ります。その結果鎮圧されるのですが、佐々成正は秀吉から切腹を命じられます。また一揆に参加した国人の殆どは処刑され、その眷属も皆殺しにされ、反乱の目は徹底的に除かれました。そして、その後に入れられたのが加藤清正と小西行長でした。小西行長の領土となった天草は、肥後国人一揆に参加しなかった5人の国人が支配いていました。今度はこの国人が小西行長の城普請の命令を拒否し、天草国人一揆が起こりました。これは、小西行長と応援に入った加藤清正で何とか鎮圧します。

このように肥後は、肥後の住人によって統一されたことは一度もありませんでした。また、統一を目指した争いも少なかったようです。すなわち、肥後の住民は、小さな単位の集団で生活し、他の集団を征服して大きな集団を作ろうという征服欲がなかったように思われます。お互いに住み分け、お互いの領域を犯さないという相互不可侵(不干渉)主義があったと思われます。ここに肥後の住民の特徴が見て取れます。すなわち、肥後人は、相互不干渉主義で、権力志向がなかったのです。「あなたはあなた、私は私。お互いに干渉しない」主義だったのです。「肥後もっこす」というのは、議論が好きで、それも小さなことに拘って譲らないところから来ていると思われます。熊本県人にとっては、「私はこう思う」という拘りを持つことが大切であり、それを失くしたら自分が自分でなくなるということなのです。「肥後の引き倒し」も、積極的に相手の足を引っ張たり、相手を潰しに行くのではありません。よっぽどのことがない限り積極的に協力したり応援したりしないのです。相手も協力や応援要請をしないのです。これは、「引き倒し」というより相互不干渉の一つの表れということができます。

私が思うに、熊本県人は田舎のデカルトです。小さなことに拘る自分がいないと自分の存在を確認できないのです。「我思う。故に我あり。」です。

熊本県は、2016年4月14日に大地震に襲われ、甚大な被害を受けました。地震後、避難所で共同生活をするのではなく、自分の車で寝泊まりする車中泊が多かったことが、熊本県人の特徴を表しているように思います。熊本県人の相互不干渉の気質の表れのような気がします。

熊本は、地震からの復興ばかりでなく、大幅な人口減少にも直面しています。人口減少を食い止めるためには、雇用の大きな事業所の立地が不可欠です。しかし、大きな事業所においては、チームワークよく働く人が求められます。小異に拘り、大同を拒む姿勢は、大きな事業所の立地に障害になると思われます。熊本県人に「小異を捨て大同に就く」と言っても無理なので、「小異を認め、大同に就く」と考えたらどうでしょうか。小さな拘りは持ちながら大同に就き、熊本を牽引する優秀な人を引き立て応援し、県勢を回復させる必要があります。今後は、熊本県民の特徴としてネガティブなイメージが強い「肥後もっこす」は止めて、「デカルト的な県民性」としましょう。

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