ノーベル賞に一番近い町京都
今年本庶先生がノーベル医学生理学賞を受賞したことにより、京大卒業者の受賞者は7名となりました。これは、日本のノーベル賞受賞者の卒業大学別で見ると2位です。1位は東大で8名です。なんとなくノーベル賞受賞者数なら東大卒より京大卒が多いという印象がありますが、数で見ると東大が1位で面目を保っています。しかし、京大で研究者生活を送り受賞に繋がった人を入れると京大関係者は10人となり、東大を上回り、世間のノーベル賞を輩出する大学のイメージと一致します。やはりノーベル賞は東大より京大と言ってよいと思います。
では、何故京大からノーベル賞受賞者が輩出するのでしょうか?それは、京都という町が関係していると思います。京都には長いものでは1000年を超える歴史を持つ寺社仏閣などの歴史遺産が多数あります。それらが醸し出す独特の雰囲気があります。それらを守り、町を作ってきた人たちがいます。京都は1000年近く都が置かれ、世の中で一番良いものが集まって来ていました。そのため、良いものを鑑賞して来ており、肥えた観賞眼があります。本物を見極める目があります。本質を追求する意識があります。それが基礎研究の研究者の生活には、プラスに働いているように思います。
東京は徳川家康が幕府を江戸に開設してから本格的発展を遂げた町で、歴史として400年程度しかありません。それに江戸は何回か大火に見舞われ、多くの建物が焼失していますし、東京になってからは大きな震災に襲われています。また、第二次世界大戦戦では大規模な空襲を受け、焼け野原となっています。その度に東京は新しく作り直されており、歴史遺産がほとんどなく、歴史軸がありません。そのためか、長いスパンで物事を考え、じっくり取り組む姿勢がないように思います。その点が京都との大きな違いのように感じます。
それに東京は日本の政治経済の中心であり、常に短い期間で結果を出す競争が繰り広げられています。長い時間をかけて物事を評価する雰囲気は全くありません。それは大学の研究室でも同じであり、東大の教授となると文部科学省などの官庁の審議委員や学会の会長を務めるなど研究以外で多忙となります。このように東大は東京にあるせいで、京大ほどじっくり落ち着いて研究に取り組む環境がないように思います。米国でもノーベル賞受賞者を輩出するのは、ニューヨークよりボストンであり、ボストンが京都、ニューヨークが東京に擬せられます。
もう1つ東大生と京大生では、頭脳構造が少し違うと思われます。東大入学者の大部分は、私立の中高一貫校出身者です。ここの出身者は、遅くとも小学校3年,4年生から私立中学に合格するための塾に行き、知識や問題の解答方法を身に付けます。そして私立中学校に合格したら、プロの教師が東大合格に必要な知識と回答方法を伝授します。私立中高一貫校に行くということは、東大に入るための予備校に6年間行くようなものです。ここで学んで東大に合格した学生の頭の中といえば、入試に出るかもしれない知識と回答方法で埋め尽くされています。従って、既に答えがある問題ならこれらを引っ張り出して速やかに正解を出せます。
しかし、まだ解明されていない、データが存在しないことに関しては無力です。彼らは、地道な解明作業や演算するためのデータの収集には不向きなのです。直ぐ答えを出せないのは頭が悪いからであり、そういう状態に自分を置くことに耐えられないのです。その点、京大生は上に東大進学者がいたため、そこまでのプライドはありません。それに京大合格者は東大ほど私立中高一貫校の割合が高くないと思います。この私立中高一貫校出身者が少ないということがノーベル賞受賞には重要となります。日本人のノーベル賞受賞者で私立高校出身者はわずか2名(江崎玲於奈氏・同志社高校、野依良治氏・灘高校)しかいないのです。あとは公立高校な出身者で、公立高校だと頭のいい人もそうでない人も一緒のクラスですから、高度な受験教育は受けられません。従って、東大や京大に合格するためには自分で勉強を工夫するか、常に問題意識を持って勉強するしかないのです。この高校時代からの姿勢がノーベル賞を受賞するような研究態度に繋がっていると思われます。
将来研究者になってノーベル賞を狙う若者は、東大に行くより京大に行って、京都で研究者になった方がよいと言うことになります。