稀有のバランサー・ゴーンの躓き

日産のカルロス・ゴーン会長(以下ゴーン)が逮捕されました。漏れ来る話は、ゴーンの悪い面だらけですが、もっと公平に評価しないといけないと思います。

ゴーンは、潰れそうになった日産を立て直した名経営者には間違いありません。ゴーンのやり方を見ていると、日本電産の永守社長のような業務に精通した経営者というよりは、計数管理に通じた再建ファンドのファンドマネジャーという感じがします。日産の再建もコストカットが主で、再建ファンドのマネジャーが得意とする方法です。数兆円の売上規模があれば、コストカットで再建は可能です。問題は、技術の目利きがないことから、その後成長させられないことです。自動車の場合、ほとんどが外部調達の部品で構成され、巨大な組み立て産業になっていますから、技術を見る目がないゴーンでも再建できたと思われます。しかし、この方式ではいずれ限界が来ます。日産も人気車種がなく、売上は伸び悩み、営業利益は減少に転じていました。

ここでゴーンが目を付けたのが三菱自動車でした。燃費データの改ざんで国内販売が不振に陥り、業績が悪化していたのです。しかし、三菱は、技術はしっかりしており、東南アジアでは強い販売力を持っています。それは世界的な商社三菱商事が販売を担当していたからでした。ゴーンはこういう点をしっかり見極めて、約2400億円の増資を引き受け、三菱自動車の34%の株式を握り、グループ化しました。日産の次の成長エンジンになると考えたものと思われます。

日産の2017年度の販売台数は577万台で、内訳は、日本58万台(シェア11.2%)、米国159万台(9.2%)、中国152万台(5.6%)、欧州65万台(3.6%)となっています。これから分かることは、日産の総販売数に占める国内の割合は、約10%しかないことです。海外事業はゴーンが見ていたということですので、日産へのゴーンの業績貢献度は約90%となります。日産の西川社長以下日本人の取締役は、日本国内の事業担当だとすると、業績貢献度は約10%となります。日産の取締役報酬を見ると、ゴーンが約20億円(実質)で、西川社長ら他の取締役が1億円台というのも頷ける気がします。日本ならみんなで頑張ったのだからとこれだけの差は付けないでしょうが、コミットメント経営を標榜していたら、実績に応じた報酬額にするのは当然のことだと思われます。

日産からの配当金収入がルノーの利益の約半分を占めるということで、ルノーにとって日産の買収は大成功だったということになります。そこで貢献者であるゴーンは、2005年に親会社ルノーのCEOを兼ねることになります。ゴーンにとって日産のCEOは居心地が良かったと思われます。日本では神様扱いだし、ルノー本社も殆ど口出ししなかったと思われます。フランス人はプライドが高く、自己主張が強いためか、フランス企業の海外展開は上手くいっていません。フランスにとっては、日産は数少ない海外での成功例でした。ゴーンはフランス流、ルノー流の経営を日産に持ち込めば、上手くいかなくなると考えていたと思われます。それと自分のやり方が制約されると考えていたでしょう。そこで、ルノーと日産(三菱も)の関係は、独立したアライアンス関係だと言ってきました。それは、その方が実効性を上げられるからでもありますが、ゴーンがルノーの制約を受けずに、日産で自由に振舞うためでもありました。

ルノーの日産への出資比率が43%であることを考えると、資本的には、日産は完全にルノーの子会社です。通常なら、取締役の過半数はルノー出身者で占めます。ゴーンは、ルノーの利益のためと同時に自分の利益のために、取締役の過半数をルノー出身者にせず、独立したアライアンス関係と言いくるめてきたのです。

その結果、ゴーンの日産における報酬は、ルノーに干渉されることなくゴーンの思うままに決められました。それが今回の不透明な報酬事件に繋がったのです。同時に、資本的にはルノーの子会社なのに、日産の取締役の過半数以上を日本人にして、今回社内で解決すべき問題を検察に持ち込むという失態をもたらしたのです。

ゴーンは、フランス国籍ながら、ブラジル生まれ、レバノン育ちで、生粋のフランス人ではありませんでした。ルノーというフランス人の会社の中では、マイノリティー意識があったと思われます。そのこともあって、資本的には子会社と親会社の関係である日産とルノーとの関係を、独立したアライアンス関係と言いくるめて、日産を実質的にゴーンの会社にしてきました。マクロン大統領が出てきて、日産を名実ともにルノーの支配下におくことを強行に求めてきたため、年齢も高くなって引退も意識し始めたゴーンは、マクロン大統領の意向に沿った形での落としどころを探っていたと思われます。そのため日本国内の日産(日本日産)の経営は西川社長に任せて、業務の重心をルノー本体および海外の日産子会社に移していました。12月にも合併などの資本政策が行われる予定だったとも報道されていますが、合併はともかくとして、日産の取締役の過半数以上はルノー出身者にすることは近々行われたと思われます。資本的には既に子会社なのだから、これで十分なのです。日産をできるだけ長く自分の思いのままになる会社としておきたいというゴーンの思いが今回の躓きの原因だと思われます。