明智光秀・徳川家康・春日局を繋ぐ点と線(9)
9.光秀の政権構想
本能寺の変当日まで、本能寺の変を決行することは、明智家の家老5人以外には知らされていなかったと思われます。しかし、決行直前、丹後宮津の細川藤孝には、本能寺の変を決行する旨を知らせる使者があったと思われます。藤孝は、6月2日の夜本能寺で開かれる信長主宰の茶会に出席することになっていましたが、宮津を出発した様子がありません。そして本能寺の変後、直ぐに髷を落とし、不戦の態度を示しています。藤孝にとって本能寺の変の決行前に、光秀から知らせを受けたことは甚だ迷惑だったと思われます。何故なら共謀を疑われるからです。藤孝が知らせを受けた時は、もう手の打ちようがないときで、その後は信長を信奉する息子忠興が京に向かうのを押さえるのに大変だったと思われます。細川家としては、忠興が信長の信奉者であること、光秀はかって細川家の家臣であったのに今では細川家の上にいることへの家臣の反発、および実力家老の松井康之は鳥取城攻めに参加し、秀吉と友好関係にあったこと、などから光秀を支援することにはならなかったと思われます。更に問題になったのは、忠興に嫁いでいた光秀の3女玉(後の細川ガラシャ)の扱いでした。重臣の中には、主君殺しの逆賊の娘として首を撥ねるか、離縁するよう迫った者もいたようです。しかし、玉を可愛がっていた藤孝と溺愛していた忠興はこれを受け入れず、丹後の山中味土野に隠すこととしました。
光秀がもう一人支援してくれると考えていた光秀与力の大和郡山城主筒井順慶は、秀吉の帰還が近いことを聞いて、光秀支援に動きませんでした。順慶は、光秀軍と秀吉軍が戦った山崎を見渡せる洞ヶ峠で両軍の戦いの趨勢を見守り、秀吉軍の勝利が明らかとなったところで秀吉軍に味方します。この日和見的な態度は、「洞ヶ峠を決め込む」という言葉を生んでいます。
光秀の娘(4女)が嫁いでいた織田信澄(近江大溝城主)は、信長の弟信行の息子で、信長3男信孝らと長宗我部元親討伐のため四国に渡海するため野田城に居ましたが、信孝から光秀との共謀を疑われ、殺害されます。もちろん光秀が信長の信頼が厚い信澄に、謀叛を打ち明けるはずがありませんでした。
こういう中で、光秀の謀叛に呼応した武将が2名います。近江国奥島の京極高次と若狭小浜で丹羽長秀の与力となっていた旧若狭守護武田一族の武田元明です。元明には高次の妹竜子(後に秀吉の愛妾となる)が嫁いでいました。2人は、光秀に味方し秀吉の留守城長浜城を占拠しています。
それから、美濃でも旧国守の斎藤家家臣が蜂起しますが、稲葉一鉄らが鎮圧しています。信長が光秀の元から那波直治を稲葉家に帰らさせた効果があったと言えます。
光秀は、本能寺の変後、朝廷・公家への工作を盛んに行っていますから、本願寺との和睦のように勅命で有力武将間の和睦を成立させ、朝廷を中心とした政権を樹立しようと考えていたのではないでしょうか。その当時の武将の勢力を前提して、暫く朝廷親政を敷き、その後話合いで武家の棟梁(将軍)を決めます。光秀は、その候補として家康を考えていたように思います。家康は、三河・遠江・駿府に甲斐・信濃を加えた5カ国を支配します。光秀は、近江・丹波に加え、美濃を支配します。秀吉は播磨で、柴田勝家は北陸、尾張には織田信孝または織田信雄が入ります。これでまとまるか微妙ですが、勅命があればまとまることに希望を抱いていたと思われます。
本能寺の変は、天下取りを狙ったものではなく、利三を守るためという甘美な動機に基づくものでした。だから光秀は、その後の天下のことはあまり考えていなかったと思われます。考えてもうまく行くシナリオしか浮かびようがなかったはずです。その中でも自信を持っていたのが、朝廷・公家は自分に味方するということだったと考えられます。事実、朝廷側の取次を務めていた吉田兼見は、本能寺の変後何度か光秀と面会しています。6月2日には安土城に向かう光秀に会い、6月7日には安土城に行き光秀と面談しています。そして6月9日に上洛した光秀は兼見邸を訪れ、天皇、親王、兼見らに対して銀子の献上を申し出ています。この後光秀は、秀吉軍に対処するため下鳥羽に出陣しますが、兼見は誠仁(さねひと)親王(正親町天皇の嫡男)の親書を持って下鳥羽の光秀の元を訪れています。これらを見ると、朝廷は光秀を支持していたものと思われます。6月12日山崎で光秀と秀吉の戦いが始まり、その翌日には勝敗が決します。ここから兼見や朝廷は我関せずの姿勢です。
このように光秀が思い描いた本能寺の変後の構想で思い通りに行ったのは、兼見と朝廷の動きだけだったと言えます。それは、天下取りを企図して決行されたものではない本能寺の変の当然の帰結でした。
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