日産・ルノー、日仏政府主導で統合へ動く
10月8日、日産自動車(日産)は、最高経営責任者(CEO)に現日産の内田専務、最高執行責任者(COO)に現三菱自動車COOでルノー出身のアシュワニ・グプタ氏の就任を発表しました。そして10月11日、ルノーは、ティエリー・ボレロCEOを解任したと発表しました。これは僅か4日間の間になされたことであり、連動しているものと考えられます。
日産のCEOについては、内田専務の前任の中国担当で、現在販売が落ち込んだ米国などの販売回復を担当している関専務が有力と報道されて来ました。内田専務の前に中国での販売を伸ばした実績で、日産の命運を握る部門の責任者に就いていることからも当然の人事だと思われました。しかし蓋を開けて見ると関専務の後任の内田専務が関専務を逆転する形でCEOに就任したのですから、実績以外にいろんなことが考慮されたと考えるのは当然です。関専務は西川社長の流れを汲む日産民族派の旗頭であり、関専務がCEOに就くと、西川社長が進めた日産・ルノー対等化路線を引き継ぐことになります。日産の指名委員会にこれを嫌う、即ち日産・ルノー統合已む無しと考える人たちが増えていることが伺えます。日産指名委員会は6人の委員で構成されています。委員長が経済産業省出身の豊田正和社外取締役で、委員はルノーのスナール会長、アンドリュー・ハウス社外取締役、井原恵子社外取締役、木村 康社外取締役、永井素夫常勤監査役です。もし日産民族派が多いとすれば、西川前社長のときのようにCEO、COO共に日本人となってもおかしくありませんでした。これがCEOを日産から、COOをルノーから出し、かつCEOは日産の民族派にしなかったということは、事前に大きな方向性が決められていたことを意味します。それは、ルノー・日産の統合は已むを得ぬ流れであるが、日産社員と日本人のプライドを傷つけない形で進めるという方向性です。そのため、2003年に日商岩井(現双日)から転じて日産プロパーでなく、日産・ルノーの購買統合でルノーの評価が高かった内田専務をCEOに据え、ホンダでの勤務経験があり、ルノーに転じた後に日産での勤務経験もあり日本人のメンタリティを知っているグプタ氏をCOOに据えることにより、日産・ルノーの意思疎通が良くなる体制を敷いたものと考えれます。
これで日産の親ルノー体制はできましたが、ルノーには、日産との信頼関係を再構築しながら実体的統合を進めるべきとするスナール会長と43%の株式を背景に資本の論理で一気に統合を進めるべきというボレロCEOの対立がありました。そこでルノーとしても、日産の経営体制刷新を待ってボレロCEOを解任し、日産とシンクロする体制を敷いたものと考えられます。
この体制刷新の準備は、日産・ルノー同時並行的に進められたと考えれます。日産・ルノーで中心となったのは、豊田正和指名委員会委員長とスナール会長でしょう。しかし、その上に日本の経産省とフランス政府が介在し、この方向性を決定していたと考えれます。それは、9月5日に西川社長らのSARによる報酬水増しが明らかになりますが、その前の9月3日にフランス政府のスメール経済・財務大臣が世耕経産大臣に電話したときから話合いが始まったと思われます。そして経産省の指示を受けた豊田氏が日産の指名委員会の日本人委員や取締役をまとめ、フランス政府がルノーの取締役をまとめたと考えられます。
今回の日産の混乱は、フランス政府の指示を受けたゴーン元会長がルノーと日産の統合への動きを強めたことに反発した経産省が日産の民族派の取締役や監査役を動かし、世間をあっと脅かせる手柄を上げたい東京地検をそそのかしてゴーンを逮捕させ、統合を阻止しようとしたものです。しかし、ゴーン逮捕後、逮捕に値するような事実は出てこない中で、日産の販売台数が大きく減少し、日産が如何にゴーンに依存した会社だったかが分かって来ました。2019年第一四半期決算は営業利益16億円と赤字すれすれまで悪化し、リストラは避けられない状況となりました。安倍内閣としては、消費税引上げで景気悪化は避けられない中で、日産が国内工場の大リストラに着手すると、不況突入の引き金となることが心配されます。これを防ぐためには、自力による再建が期待できない日産を早くルノーと統合させるしかありません。経産省としては国内雇用が守られればよいのであって、そこをフランス政府が確約してくれれば経営統合は望む所となっていました。
今後日産とルノーは、共に統合への体制が整い、資本面はそのままにして、協力関係を深化させる形で統合への歩みを進めることとなります。