弁護士の評価を失墜させた森法務大臣

黒川東京高検検事長(黒川検事長)の定年を半年延長した問題で、森法務大臣の国会での答弁が注目されています。森法務大臣は弁護士出身であることから、その片鱗を見せるだろうと思っていたところ、逆に市民の弁護士に対する評価を失墜させる答弁が続いています。

今年の1月に黒川検事長が2月7日の満63歳の誕生日を以て退官するとの新聞報道が出てから間もない1月31日、政府は黒川検事長の定年を延長したとの報道がありました。「え、そんなことができるの?」と思って記事を読むと、検察庁法には検察官の定年は63歳と書いてあるけれど、国家公務員法にはこれを延長することができると規定されているから、国家公務員法の規定によったというのです。でも法律の知識がある人なら、この説明がおかしいことは直ぐ分かります。検察庁法は、国家公務員法の特別法であり、検察庁法の規定が優先することは自明だからです。これに対して国会で答弁に立った森法務大臣は、検察庁法は定年による退官の規定であり、今回は定年の延長ではなく勤務の延長であり、これについては検察庁法に規定がないので、国家公務員法の規定によった、と説明しました。これは結果を正当化するための詭弁であることは誰にでも分かります。検察庁法は、検察官は他の国家公務員と違い、63歳になったら定年で退職すると定めていると読むのが素直な解釈です。その後この素直な解釈が検察庁法の立法主旨の説明として当時の政府からなされていることが分かると、検察庁法の立法主旨は検察庁を管轄する法務省で解釈を変更し、閣議の了承ととれば修正できると発言します。これでは法律の修正を官庁と閣議で出来ることになり、国会が立法権が侵されてしまいます。さらにこの答弁の際、「部内で必要な決裁は取っている」と発言しました。しかし、翌21日、法務省では書面の決裁書が存在しないことが判明します。弁護士ならば、決裁書は書面でないと効果が無いことは十分知っているはずです。それに書面がないことは、自分自身が一番知っていることであり、この場合言い間違えたとは言えません。

そもそも森法務大臣が誕生したのは、黒川検事長の検事総長就任を実現するために昨年9月の安倍内閣改造で安倍首相補佐官を務めていた河井克之衆議院議員を法務大臣にしたところ、この意図を知った検察が河井法務大臣の妻で昨年7月の参議院議員選挙で当選した案里議員の公職選挙法違反容疑の捜査を始める動きを見せたため、河井法務大臣が同年12月31日に辞任したためでした。安倍政権としては、黒川検事総長実現の意志が固いことを見せるために、安倍首相の子飼いで弁護士資格を持つ森まさ子衆議院議員を法務大臣としました。従って、森法務大臣は検察との全面戦争の火中に飛び込んだことになります。黒川検事長の定年退職となる63歳の誕生日が2月7日に迫る中で、森法務大臣が思い付いたのが検察庁法と国家公務員法の解釈を変更し、国家公務員法の勤務期間延長の規定で、黒川検事長の定年(勤務期間)を半年延長することであったと思われます。しかし、この理屈は法曹関係者なら全員と言って良いくらい無理な解釈となります。また、法務省内で稲田検事総長が反対することは確実であり、書面による決裁は取れないことが予想されました。そこで森法務大臣は、決裁権者が法務大臣であることを利用して、口頭で決裁があったことにしたものと考えられます。これは検事総長の起訴の判断を押さえるために取られる法務大臣の指揮権発動と同じことと言えます。即ち、法務省内の検察側と森法務大臣との間の対立は、指揮権発動の状態まで達していることになります。

森法務大臣は2020年1月9日、ゴーン被告のレバノンでの記者会見を受けて、「潔白というのならば、司法の場で正々堂々と無罪を証明すべき」と発言し、被告人は無罪の推定を受け、起訴した検察官が有罪を証明しなければならないという刑事裁判の基本原則を逸脱した発言をし、日本の弁護士の評価を暴落させています。

このように森法務大臣は、国民に「弁護士ってこんなもの?」「弁護士って屁理屈言う人たちのこと?」という印象を持たせ、弁護士の評価を失墜させています。これまで学校や自治体、企業などで不祥事があると第三者委員会が作られ、委員長や委員には弁護士が就任するのが常でしたが、今後これは変わって来ると思われます。