法務大臣指揮権の発動基準を具体化しておく必要がある

日産の元会長カルロス・ゴーン被告と同代表取締役ケリー被告が有価証券報告書への報酬過少記載(金融商品取引法違反)で起訴されたケリー被告の裁判で、ゴーン被告の指示で報酬隠しに関わったとされる大沼敏明同社元秘書室長の証人尋問が9月29日東京地裁で行われ、元室長はゴーン被告の報酬には「確定報酬、支払ったもの、未払いのものがあった。未払い報酬の開示を避けて、どう支払うかを検討した」と述べたということです。これによると、ゴーン被告は有価証券報告書に記載した金額の約2倍、約20億円の報酬を受け取る予定であったことは間違いないようです。しかし、これをそのまま受け取ると有価証券報告書に記載しなければならず、高額との批判を受けることから、ほぼ半分の約10億円を受取り、残額については別途支払方法を検討することになっていたようです。この検討を行っていたのがケリー被告だと考えられます。ケリー被告が唯一具体化しようとしたのがゴーン被告の退職後コンサル契約の対価として残りの報酬を支払うことだったようです。このためゴーン被告(当時代表取締役会長)と当時の西川社長との間で契約を結んだようです。コンサル契約はあくまでゴーン被告が日産を退社した後のことですから、その時点では結べません。従って当時の契約はコンサル契約の予約と考えられます。しかし、会社と取締役との間の取引に関する契約は、取締役会の承認が必要とされており、予約も取締役会の承認がない限り、効力はありません。従って予約は、西川社長が取締役会の承認を取る義務を負ったものと考えられます。

この結果、ゴーン被告は逮捕当時残り半分の報酬を受け取れる契約を日産との間ではしていなかったことになります。従って、残りの報酬(累計91億円)は、事情を知る者(ゴーン被告、ケリー被告、元秘書室長および西川元社長)の間では、未払金かも知れませんが、日産との間では未払金ではなく、日産は何の支払い義務も負っていなかったことになります。これはケリー被告が主張している内容であり、正しいと考えられます。要するに91億円については有価証券報告書への記載義務はなかったということです。

この事件でいつも思うことは、もし記載義務があったとしても、記載しなかったとして売上高10兆円を超える企業の経営者を逮捕するような問題かということです。その前に証券取引等監視委員会や東京証券取引書が是正命令を出せばよいことです。その過程で検証すればよかったのです。91億円は未払いになっていることによって、日産(株主と債権者)には損害は発生しておらず、逆に得をしているのです。これがいきなり逮捕するようなことでしょうか?逮捕は行き過ぎだと思われます。

では何故こんなことが起きたかというと、2019年6月から司法取引制度が犯罪捜査で使えるようになったことから、検察内部で司法取引制度を使った代表案件作りの競争が行われ、その中で東京地検特捜部が暴走したからです。2019年7月には、稲田検事総長が就任しており、それが司法取引制度の活用に拍車をかけたものと考えられます。というのは、稲田検事総長は司法取引制度を含む法律改正が国会で成立したときの法務事務次官であり、この実績で検事総長になったと考えられます。稲田検事総長は就任早々思い入れが強い司法取引制度を捜査に活用するよう発破をかけたものと考えられます。その結果、検察内部では司法取引制度の活用競争が繰り広げられ、ブレーキが効かない状況となったと思われます。その中で日産の役員から東京地検特捜部にゴーン被告の有価証券報告書未記載の情報が持ち込まれたと思われます。これにルノーの日産合併の動きがあり、国益を守る意識が加わり、法益考量を間違ったものと考えられます。普通の精神状態で考えれば、91億円の報酬を有価証券報告書に記載しなかったとして日産のような大企業の社長を逮捕することはあり得ません。以前東芝が経営危機に陥った粉飾決算の方が遥かに悪質でしたが、東芝の経営陣は誰も逮捕されていません。明らかに対応が違い過ぎるのです。ここからも検察が司法取引の活用に目が眩み、法律の適用を誤ったことが分かります。

ゴーン逮捕の場合、検事総長がアクセルを踏んでいたと考えられますから、検察内部でストップをかけるのは不可能だったと思われます。この場合、唯一これにストップをかけられたとすれば、法務大臣の指揮権発動でした。未払いかそうでないかは置いておいて、有価証券報告書不記載という軽微な犯罪で、ゴーンと言う日産の屋台骨を支える経営者を逮捕する法益と、日産が経営危機に陥る経済的損失を比較考量したら、法務大臣指揮権を発動してゴーン逮捕を止めさせるという結論になるはずです。後日安倍首相もゴーン事件は「日産社内で片付けて欲しかった」と述べていますから、内閣としてゴーンを逮捕するような事件ではないという認識があったはずです。ならば安倍首相が法務大臣に指示して指揮権を発動させてもよかったのです。

日本では1954年の造船疑獄で犬養建法務大臣が指揮権を発動して以来、法務大臣の指揮権発動は行われていません。造船疑獄の場合、法律制定をめぐる贈収賄事件であり、国会議員の逮捕を中止させたものでしたから、批判が大きかったと思われます。ゴーン逮捕については、経済的混乱を防ぐための指揮権発動であり、合理性があります。米国SECは、テスラCEOのアーロン・マスクが株価変動に関わる虚偽のツイートをして多くの投資家に損害を与えたにも関わらず、逮捕せず罰金とCEOからの退任で処理しています。これはマスクを逮捕すればテスラが倒産し、経済的損失が大きくなることを考慮してのことと考えられます。ゴーン事件についてもこれと同じ処理が求められたのです。

法務大臣指揮権は、検察の暴走を止めるために設けられた最後の手段であり、ゴーン事件を教訓として、法務大臣指揮権の発動基準を具体化しておく必要性があると思われます。