昨日の「麒麟が行く」で本能寺の変の布石があった!

昨日初めてNHK大河ドラマ「麒麟が行く」を見ました。明智光秀については、このブログに掲載している「明智光秀・徳川家康・春日局を繋ぐ点と線」を書くにあたって相当調べたので良く知っており、ドラマの喋りや映像は創作なので、見る気がありませんでした。昨日見たのは、昨日の回の予告に丹波攻めの言葉があり、この内容を確認するためでした。内容的には、信長が光秀に丹波攻めを命じ、光秀が丹波に調査に行くというだけで、期待外れでした。やはりテレビに期待するのは無理だなと思いました。

そうは言っても光秀について調べたことがある身としては、本能寺の変の原因をどのように描くか気になります。その点について昨日の回で布石が打たれていました(たぶんです)。それは斎藤利三が稲葉一鉄の元から出奔し光秀の元にやってきましたが、そのあとすぐ信長が光秀に利三を一鉄の元に返すよう命じた場面です。利三の出奔について私が読んだ資料では、一鉄の(頑固な?)態度に我慢がならなくなった利三が出奔し光秀の元に行きますが、そのあと一度一鉄が利三を連れ戻します。しかし一鉄の態度が変わらなかったため利三は再度出奔し、その後戻ることはなく光秀の元で家老にまでなったことになっていました。一回目の出奔の際利三はまだ若く、一鉄が信長に利三を返すよう光秀に命じて欲しいと依頼するような存在ではなかったと思われます。また光秀も利三に信長の命令に反してまで守る義理はありませんでした。この場面は脚本家の創作で、本能寺の変の直前に信長は光秀に利三を一鉄に返すよう命じ、これを光秀が拒否したことが本能寺の変の原因になる(私の見立てです)ことから、この場面を挿入したと考えられます。利三返還について光秀は二度も信長の命令を聞かなったことから、信長と光秀の関係が破綻し、本能寺の変に至ったというストーリーだと思われます。

この見立ての詳細についてはこちらをお読みください。本能寺の変、どこがミステリー?