日本の産業復興のためにはIBJの復活が必要

岸田政権が半導体産業の強化に動いています。その先駆けがTSMCの熊本工場建設資金約8,000億円の半額を助成することです。その他キオクシアやマイクロンなど日本に工場がある半導体企業の設備投資資金も助成するということですので、半導体産業の復興を目指していることが伺えます。

2020年の日本の半導体シェアは約6%となっており、1990年の約49%と比較すると衰退ぶりが分かります。この理由ついては、

1.半導体が使われるテレビ、ビデオなどが売れなくなり、日本国内での半導体需要が減った、

2.世界的な低コスト化に日本は付いていけなかった(品質過剰)、

3.半導体事業が総合電機メーカーの1事業部門であったため、半導体部門で行える設備投資額に限界があった、

4.米国が自国の半導体産業強化のため、米国製半導体の購入を日本に迫った、

5.為替が円高に振れたため、輸出価格が上昇した、

ことなどが言われています。どうもこれらが重なったためのようで、日本の半導体産業の衰退は必然だった気になります。

一方日本に代わって半導体事業を伸ばしたのは隣国の韓国と台湾であり、共に日本の技術を積極的に導入した国です。両国の半導体企業は日本の企業と比べて技術も資本力も劣っている中で投資を続けたのは、半導体産業の成長を見通してのことと思われます。DRAM世界トップのサムソンは家電などで稼いだ資金を半導体事業に回せましたが、同じ韓国の半導体メーカーSKハイニックスは、半導体事業企業ハイニックスが2001年に倒産し、2012年に通信企業SKの傘下に入った企業ですが、これが今ではDRAMで世界シェア 30%(2020年度。サムスン44%)、NAND型フラッシュメモリで11.9%(2020年度。サムスン35.7%)とサムスンに次ぐ世界有数の半導体メーカーになっています。これが実現できたのは、韓国銀行団の金融支援があったためと考えられます。同じく台湾でも半導体の受託製造でTSMCが世界トップとなっていますが、創業は1987年であり、設備投資資金は台湾政府や台湾の銀行団が支援したようです。

半導体産業は巨額の設備資金が必要であり、かつ需要の波が大きいことから、半導体産業への金融支援は半導体産業が成長するという確かな見通しがないと続けられません。日本の場合、金融機関にこの見通しを持てるところが無かったのが半導体産業の衰退に繋がったと考えられます。それはエルピーダメモリ(エルピーダ)の消滅によく表れています。エルピーダは1999年に日立製作所とNECのDRAM部門が統合しできた会社です。分離した当時のシェアは約17%ありました。2008年でも約19%となっていますから、半導体専業メーカーとして頑張っていたことが伺えます。これが暗転したのは2007年パリバショック、2008年リーマンショック、2010年欧州ソブリン危機などの金融危機のためのようです。この際世界各国は今回のコロナ危機のように大胆な金融緩和策を採りましたが、日本だけが採らず、そのため金利差に伴い円高となり、エルピーダの輸出が激減します。これによりエルピーダの資金繰りが逼迫し、2009年には産業活力再生法に基づき公的資金の注入を受けました。しかしこれも半導体産業の将来性や日本に残すべき産業と言う位置付けに伴う支援ではなかったため、継続しませんでした。そのため2012年に会社更生法を申請し、倒産します。しかしこれをチャンスと見て買収したのが同業の米国マイクロン・テクノロジー(マイクロン)でした。その結果エルピーダは現在マイクロンメモリジャパンとなって操業を続けています。これによりかろうじてDRAMは日本で生産されることとなっています。これが無ければ日韓報復合戦で韓国のサムスンやSKハイニックスからDRAMの供給を止められていたら、日本ではパソコンを生産できないことになっていたかも知れないと考えるとゾッとします。

エルピーダの例を考えると、日本には1つ産業の将来性を見通し、継続的に資金支援を行う産業専門銀行が必要なことが分かります。現在日本の多くの産業が韓国や中国、台湾の企業との競争に敗れ弱体化していますが、中には半導体産業のように将来性豊かな産業分野の企業もありますし、国家政策として存続させなければならない企業もあります。この状況は、明治初期や第2次世界大戦後に似ており、そのとき産業専門銀行が活躍しています。その代表が日本興業銀行(興銀)であり、私たちが若い頃は憧れの銀行でした。興銀マンは頭の中が企業経営のことばかりであり、資金繰りが中心の他の銀行マンとの違いは歴然でした。興銀の産業調査部の調査力は定評があり、興銀はその調査結果に基づき成長産業に継続的に巨額の資金支援を行い、基幹産業に育てました。興銀の支援を受けた企業の多くが日本を代表する大企業となり、そのため資金調達も資本市場からの調達が多くなり、興銀の必要性も減ったことから、2001年に第一勧業銀行、富士銀行と合併し、産業金融専門銀行は日本から消滅しています。

もし興銀が存在していたら、エルピーダにも資金を供給し続けたと思われますし、ルネサスエレクトロにクスも車載半導体メーカーとしてもっと成長していたと考えられます。

現在は通産省が補助金を出す形で半導体産業を支援していますが、この形では全産業に目が届かず、かつ実効性あるフォローが出来ません。そのため産業金融専門銀行として「The Industrial Bank of Japan」の復活が望まれます。