日本電産永守会長から薫陶を受けた社員はいない?

3月13日日本電産は4月1日付けで5人が副社長に就任すると発表しました。このうちの1人が来年4月社長に就任するとのことです。永守会長の社長選びもこれでゴールが見えてきたということでしょうか。

今回副社長に昇格する5人の顔ぶれを見て日本電産と言う会社が見えてきました。日本電産の永守会長はこれまで社長候補を社外から連れて来てはダメ出しをして放り出し、社長にしても長くて2年程度で辞めさせてきました。その理由はいつも辛辣なものであり、世間でアンチ永守を増やして来ました。私は、永守会長はもう絶滅種となった昭和のオーナー企業経営者らしい人であり、応援していました。しかし今回の副社長昇格者の顔ぶれを見て永守会長に対して否定的印象を持つようになりました。それは5人の中に純粋な生え抜き社員が1人もいなかったからです。日本電産の設立は1973年であり50年の歴史があります。最初は採用がなかったとしても10年目くらいからは継続的に採用を増やしてきたと思われます。こういう会社の場合創業者の薫陶を受けた社員が出てきて、後継者候補または会社の幹部になっているケースが多いように見受けられます。例えば京都において日本電産のライバルである京セラでは、京セラに新入社員では入り創業者稲盛氏から薫陶を受けた生え抜き社員が代々社長に就任しています。なのに日本電産で今回副社長に昇格する5人には、このような生え抜き社員は1人もいません。大卒1980年代入社で60代、1990年代入社で50代であり、順調に育っていれば今回の副社長昇格メンバーに複数入っているのが当然のように思われます。これが入っていないということは、永守会長から薫陶を受けた社員はいないか、いても途中で去って行ったことになります。今回副社長に昇格する5人のうち3人は銀行出身者であり、永守会長が毎月の経営会議で厳しく追及すると言われる数値目標型管理に慣れている人たちです。企業において数値目標型管理は当然ですが、メーカーの場合売れる製品を出し続けることが会社存続の基盤であることから、5人の副社長に開発や生産担当の技術者が入っていないとおかしいように思われます。この点で1兆円を超えるメーカーの副社長体制としては違和感があります(研究開発担当と思われる1名は学者上がりであり技術者ではない)。この体制を見ると技術者の位置付けが低いと見られてもおかしくありません。こういう会社は技術が枯れて売れる商品が開発できず衰退していくケースが多いように思われます。

永守会長は現場上がりの臭いがして、私にはホンダ創業者の本田宗一郎氏のイメージと重なります。しかし経営者としては全く違っていて、本田宗一郎氏が経営は藤沢武夫氏に任せ自分は工場でバイクの開発に明け暮れていたのに対し、永守会長は売上と利益の計数管理に傾倒して行ったように思われます。そして上場後にソフトバンクの孫社長と知り合いになると孫社長の影響を受け、これに株価が加わります。この結果計数管理に優れる元銀行マンや元商社マン、MBA取得者が優秀に見え、社内の生え抜き社員が劣っているように見えてきたように思われます。それが社内の生え抜き社員に伝わり、社員が永守会長に対し敬意を持たなくなっているように感じられます。ここが京セラ創業者稲盛氏との最大の違いであり、稲盛氏は「経営は人創り」と考え、永守会長は「経営は数字作り」と考えてきたように思われます。人創りをおろそかにしてきた日本電産は永守会長後波乱が避けられないと思われます。