肥薩線鉄道復旧が示す蒲島民主主義の欠陥

2020年7月の豪雨で被災し一部不通となっているJR肥薩線の鉄道復旧について話し合う熊本県と地元12市町村の再生協議会が6月22日に開催されたという報道です。会議では沿線住民の約6割が鉄道の復旧を望んでいるとする県が実施したアンケート結果が公表されたとのことですが、肝心の鉄道復旧の是非については費用負担で合意が得られなかったということです。県がこのようなアンケートを実施したということは、県としては鉄道復旧で突き進んでいることを示しています。しかしこのアンケートは全く意味がありません。それは住民に生じる負担の額を明確にしないで、或いは小さくして肥薩線復旧を望むか望まないかを問えば、望むという答えが多くなるのは当然だからです。「どちらかといえば」の回答を含め、復旧を望むという意見が約6割だったということは、望まない人が約4割いたと言うことであり、肥薩線復旧は沿線住民にとってもうどうでもよい問題になってきていることが伺えます。また地元高校生約1,600人を対象としたアンケートでは約8割が復旧を望んだとなっていますが、これは全く意味がありません。なぜならば、地元高校生の8割以上は地元に残らず、復旧した肥薩線を利用することはなく、彼らは復旧後相当の負担が伴うことが分かっていないからです。「復旧したら年間10億円以上の赤字が出るからみんなで穴埋めしないといけないよ」と言えば、殆どが「じゃ、望まない」と言うと思われます。このように県のアンケートは肥薩線復旧ありきで、それを後押しするデータを得るための作為的な聞き方となっています。要するに住民がどちらを望むのか客観的に探るアンケートになっていません。田島副知事はアンケート結果を報告した後、通勤通学など日常の利用者数は「極めて少ない」との認識を述べたということですから、経済的には肥薩線復旧に関する結論は出ているも同然です。一方で田島副知事は「鉄道がなくなることは地域の存亡にかかわる。復旧の意義を対外的に訴え続けることが重要だ」と述べたと言うことですが、意味不明の言辞です。日常の利用者は「極めて少ない」のになぜ「鉄道がなくなることは地域の存亡にかかわる」のでしょうか?またそんな中で訴え続ける必要がある「復旧の意義」とは何なのでしょうか?

肝心の費用負担については、復旧総額235億円のうち約159億円は国の公共事業として実施し、残りの約76億円を国、JR九州および県と関係12市町が3分の1(約25億円)ずつ負担する計画で、県と関係市町村の負担は県が約12億円、残り13億円を一定の割合で関係市町村が負担する、その後の運営維持費用も同じ割合で負担することで関係市町村の同意を取り付けようとしたようですが、異論が多くまとまらなかったようです。

この県の負担案には2つの誤魔化しがあります。1つはJR九州も25億円負担することになっていますが、JR九州はまだ同意していません(同意したという報道はない)。肥薩線八代-人吉間は被災前年間約9億円の赤字であり、復旧しても黒字化する目途はありません。むしろ沿線の人口減少や高齢化で赤字は拡大します。従ってJR九州としては回収する目途が立たないため25億円の負担には応じられないと考えられます。またJR九州の負担がなくなったとしてもJR九州が運行を請け負うのは、運行に伴う一切の費用を県と関係自治体が負担する場合のみです。これは県と関係自治体で肥薩おれんじ鉄道株式会社のような第三セクターの鉄道運営会社を作ったのと同じことになります。

2つ目の誤魔化しは、復旧後の運営維持費用の負担についてです。県は復旧後の運営維持費用を約7億4千万円としているようですが、これは復旧当初の費用であり、その後増え続け10年後約10億円、20年後約15億円、30年後約20億円ぐらいに膨らむと考えておく必要があります。更にがけ崩れや大水などによる復旧費の負担も発生します。そして7億4千万円のうち約2割の1億2千万円が関係自治体の負担としていますが、これは甘言です。これには国が多くを助成するという前提を置いているようですが、そんなことはあり得ません。2011年7月に豪雨で橋などが流され不通となった福島-新潟の県境を走る奥只見線は2022年10月に復旧しましたが、復旧後の運営維持費用は全額県と関係自治体負担です。肥薩線が置かれた状況はこの奥只見線となんら変わらず、国が肥薩線を特別に扱う理由はありません。また全国に赤字路線が多数あり、その存続を巡って現在JR東日本やJR西日本を中心に国や関係自治体と協議を続けています。もし復旧した肥薩線で国が運営維持費用の多くを補助するとしたら他の赤字路線でも同様な取扱いが必要となり、廃止される赤字路線は無くなるし、国の財政負担が膨らみます。防衛費やこども対策費で予算が膨らむ中で政府は支出を切り詰めて財源を作ると言っており、こんな補助金が許されるはずがありません。従って復旧した肥薩線の運営維持費用は全額県と関係自治体が負担する前提で考える必要があります。

このように県の肥薩線鉄道復旧計画には甘い罠が至る所に仕掛けられており、沿線住民のための計画ではなく県のための計画になっています。これは肥薩線が不通になった原因を辿れば蒲島知事が川辺川ダム建設計画を中止したことに行き着くため、蒲島知事としてはその贖罪として肥薩線をなんとしても復旧させたいと考えているためだと思われます。しかしこれは関係自治体の住民に将来にわたり過大な負担を強いるものであり、ミス(川辺川ダム建設中止)にミスを重ねるものです。蒲島知事は人吉球磨地方の人たちにとっては疫病神かもしれません。

全国的に名知事として知られる蒲島知事がなぜこうも判断を誤るのかと言うと、蒲島知事の民主主義の考え方に原因があるように思われます。蒲島知事は知事になる前は東京大学法学部で政治学の教授をしており、民主主義の在り方について造詣が深いのは当然です。蒲島知事の特徴は蒲島知事を悪く言う人がいないことであり、これは民主主義の理想形(誰でも納得している)と言えます。要するに蒲島知事の考える民主主義は、住民の要望(望み)を聞いて、それを高いレベルで満足させることのように思われます。ここが多数決を振り回す対立型の民主主義者との大きな違いです。こういう姿勢があるから蒲島知事と接して嫌いになる人がいないのだと思われます。このようにして川辺川ダムも建設中止の結論に至っています。ダムなしで球磨川治水が可能なら誰だって川辺川ダムは望みません。蒲島知事は川の浚渫や護岸の強化などで川辺川ダムはなくても球磨川治水は可能だと言いました。これが多くの住民が川辺川ダムを望まないと言った理由となっており、蒲島知事は多くの住民の望みを一致させるために根拠のない科学的知見を提示しました。国交省の川辺川ダム建設計画には2020年7月の球磨川大洪水の危険性が指摘されていたはずであり、それを否定するには国交省のダム部隊を上回る専門家を抱えていないと無理です(蒲島知事は抱えておらず否定するのは不可能だった)。にもかかわらずこれを否定し川辺川ダム建設中止を決めた蒲島知事の判断は、蒲島民主主義(住民の多数の望みをかなえるのが民主主義)がもたらす欠陥と言えます。肥薩線復旧では財政的見通しを軽視し、その詳細を知らない沿線住民の多数が肥薩線復旧を望むように誘導し(アンケートのやり方をみれば明らか)、多数の住民が望んでいることを御旗に肥薩線復旧に邁進していますが、これもまた蒲島民主主義の欠陥の表れと言えます。

肥薩線復旧で必要なのは、乗る人がいない鉄道ではなく、いざとなれば救急車や消防車が走れる道路ではないでしょうか。