2019年1月2日 / 最終更新日 : 2020年2月3日 yata-calas 熊本のこと熊本への提言 2.過疎地の小中学生には徹底したプログラミング教育を 熊本で高校まで育ち、福岡、東京、大阪で生活し、今また福岡に住んでいます。東京での生活期間が約30年と長いのですが、故郷は熊本だと思います。熊本の実家はとうになく、里帰りもできなくなりましたが、高校時代の友人が何人か熊本に […]
2019年1月1日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 yata-calas 熊本のこと熊本への提言 1.才能伸長型の教育制度を 熊本の県民性は、一般に「肥後もっこす」とか「肥後の引き倒し」とか言われて、余り良い印象はありません。これは、山や海で隔離された県域、その中で川や山などで区切られた地域、1500年後半まで強力な支配者が居なかった歴史などか […]
2018年11月9日 / 最終更新日 : 2023年2月8日 yata-calas 加藤清正加藤清正が将軍就任を夢見た娘婿徳川頼宜 (1)「昭君之間」の将軍とは徳川頼宜のこと 熊本城本丸御殿にある「昭君之間」は、1610年頃加藤清正が完成させた格式の高い謁見の間です。通常清正は、その前室に当たる若松の間で謁見していたと言われており、「昭君之間」は何の […]
2018年11月1日 / 最終更新日 : 2021年11月16日 yata-calas 加藤清正加藤家改易は徳川頼宜を抑え込むため (1)加藤家改易の表向きの理由 1632年6月、加藤清正を始祖とする肥後藩加藤家は、徳川幕府により改易処分となります。加藤家改易問題は、肥後藩第2代藩主加藤忠廣の嫡男光正が知り合いの旗本をからかう目的で、日光東照宮参拝に […]
2018年9月25日 / 最終更新日 : 2024年9月16日 yata-calas 加藤清正熊本藤崎八幡宮の秋祭りがボシタ祭りと言わなくなった訳 熊本市の藤崎八幡宮は熊本を代表する神社です。そこの秋のお祭りは、5日間に渡り行われる伝統的なお祭りで、今年は9月13~17日に行われたようです。。私が熊本に住んでいた頃にはボシタ祭りと言われていて、最近まで今でもボシタ祭 […]
2018年9月18日 / 最終更新日 : 2018年9月22日 yata-calas 加藤清正加藤清正、故郷に錦を飾った名古屋城普請 現在山岡荘八「徳川家康」全26巻を読み進んでおり、22巻まで読み終わりました。私は、昨年1年間、加藤清正(以下清正)について調べて、今年の2月にその結果を「昭君之間のミステリー」という題でネットに掲載しました。こういうこ […]
2018年7月20日 / 最終更新日 : 2018年10月29日 yata-calas 加藤清正清正の風下に置かれ続けた名門細川家の憤懣 熊本藩細川家は、1632年の加藤家お取り潰し後初代細川忠利が豊前小倉藩から着任したことから始まり、廃藩置県の1871年まで約240年続いた名門大名家です。細川家は、室町時代の管領細川家の分家筋に当たり、実質的初代の細川藤 […]
2018年7月14日 / 最終更新日 : 2018年8月24日 yata-calas 熊本のこと青春の3333段の石段 熊本県の美里町に3333段という日本1の石段があります。この石段は、標高957mの大行寺山にある大恩教寺釈迦院というお寺の参詣道だったものを、地域振興の目的で整備されたものです。登り始め地点の標高が240mで、3333段 […]
2018年7月9日 / 最終更新日 : 2018年10月12日 yata-calas 熊本のこと「熊本モンロー主義」の克服が必要では? 熊本県人の気質は、肥後もっこすとか肥後の引き倒しとか言われ、あまり芳しい印象がありません。私は同じ熊本県人としてこのブログ(2018年5月31日付)で、肥後もっこすとは、小異をもって自己アイデンティティとしているのであり […]
2018年7月3日 / 最終更新日 : 2018年8月24日 yata-calas 熊本のこと九州は早期に道州制に移行すべき 九州は早期に道州制に移行すべきだと思います。理由は、間違いなく訪れる人口減少による九州の地盤沈下を少しでも食い止めるためです。日本の人口は2015年の1憶2,700万人から2065年には約8,800万人に減少することが予 […]