山岡荘八「徳川家康」26巻読了!

10月5日、今年の5月から読み始めた山岡荘八「徳川家康」26巻を読み終わりました。大体週1巻(文庫本約500ページ)のペースで読んだことになります。書店の文庫本コーナーで一番長い書列になっていて、まさかこれを読みにかかり、読み終わる日がくるとは思っていませんでした。

さて、読んでの感想ですが、山岡荘八は歴史小説ではNO.1の書き手だと思います。司馬遼太郎もかなり読みましたが、この2人にはかなり違いがあります。

山岡荘八は、資料を徹底的に調べ、人物像を掘り下げて描写しています。人物描写が深い点に特徴があると思います。それを可能としているのは、山岡荘八の宗教や文化に対する深い理解だと思われます。山岡荘八の「徳川家康」は、歴史小説という一面と人間小説という一面を併せ持っています。

一方司馬遼太郎は、資料を徹底的に調べる点は同じですが、歴史的事実の流れやその背景を中心に描き、人物描写は、歴史的事実の流れを邪魔しないように抑えているように思います。それは、司馬遼太郎が新聞記者出身であり、事実を離れた人物描写は余り好きではなかったからかも知れません。司馬遼太郎の場合、歴史上の事実が起こった現地の視察が綿密に行われており、それが小説の展開に具体性を与えているように思います。司馬遼太郎執筆本の特徴は、「街道を行く」というシリーズによく現れていると思います。「街道を行く」シリーズは、読んでいて、自分が実際に歩いている気分になってきます。このように司馬文学は、読者を当時の歴史の流れの中に引きずり込むところがあります。

山岡荘八の小説はしっかりした脚本がある映画的であり、司馬遼太郎の小説は現地でビデを回して作成した動画的と言えるかも知れません。

徳川家康は、織田信長や豊臣秀吉に比べ長く生き、日本の歴史において一番大きな役割を果たしたにも関わらず、徳川家康を主人公とする小説は、数が少ないように思います。司馬遼太郎も家康の駿府での人質時代と小牧長久手の戦いを中心に「覇王の家」2巻を書いているのみです。山岡荘八「徳川家康」を読んでその理由が分かりました。山岡荘八がこの本で書き尽くしたため、他の作家が改めて徳川家康について書くことがないのです。書こうとしても内容の多くが重なってしまい、新しい視点が出せないのです。山岡荘八は、徳川家康については、彼の後の若手作家の創作意欲を潰した人かも知れません。

(加藤清正研究の一環として読んでいますhttp://www.yata-calas.sakura.ne.jp/