大学の基礎研究は日本の最後の砦、予算を与え放任主義で

10月23日の日経電子版に、–日本の大学の成果は米国に 本庶氏「見る目がない」–という記事がありました。日本の大学などの研究論文に目をつけてビジネス化したのは米国企業が4割とトップで、日本企業を上回っている現状を見て、本庶先生が不満と危機感を表したということです。

今回本庶先生のノーベル賞の受賞原因となったPD-1分子阻害剤については、日本の下位製薬企業である小野薬品工業が実用化しており、本庶先生が言うと違和感があります。しかし、本件開発を小野薬品工業が引き受けるまで本庶先生は、上位の製薬会社から話をしたはずで、悉く断られたことが想像できます。このときの悔しい思いが本庶先生に上記言葉を言わせているものと思われます。

新しいものを評価できない傾向は、製薬会社ばかりでなく、日本の企業全般に言えることです。既に実績が出ているものついては、積極的に採用するのですが、実績がないものについては、全く反応がありません。公務員の前例踏襲主義に似ています。それでは新しいマーケットは作れないし、二番煎じに終わってしまいます。それが現在日本の企業が韓国、中国などの企業に追い抜かれていく原因になっています。

これは、1つは教育に問題があります。平等教育、均質化教育を重視した結果、個人の生まれ持った才能や能力を伸ばすことができず、新しいものを評価できる人財が不足しているのです。2つ目は、日本企業での仕事の仕方がコンセンサス主義であることが影響しています。コンセンサス主義も悪いことばかりではないのですが、評価できない人まで含めたコンセンサス主義になっています。これを評価できる人たちが決める形に改める必要があります。

最近基礎科学分野で日本人のノーベル賞受賞者が輩出するのを見ると、日本の強みは大学の基礎研究にあると思えて来ます。近年大学の研究に対する助成金としては、実用化につながる研究が重視されてきたように思います。基礎研究は成果が出るまで時間がかかるし、画期的な成果が出ることは少ないですが、1つ出ると新しいマーケットを作り、それを独占できる可能性が高いので、国家への貢献は高いものがあります。

今後大学の研究に対して、国の資金は基礎研究に重点的に配分し、実用化に向けた研究は企業が行うというふうに分担すべきだと思います。

また基礎研究で大きな成果を出せる大学は限られており、ノーベル賞受賞で実績のある東大、京大の研究者は、何ら管理をせず、好きなように研究をさせる体制が良いと思います。ノーベル賞を取れる可能性がない者が、可能性を持った人たちの研究を管理して、良い結果が出せるとは思えません。日本と言う国が存続するための長期投資と考えるべきです。