法学部進学、法理の囚人になるようなもの

今年の東大入試で前代未聞の出来事が起こったとのネット記事がありました。文2の合格点が文1の合格点を上回ったというのです。東大発表の資料を見ると、確かに文2が文1を上回っています。2次試験で見ると、最高点は文2の457点(550点満点)に対して、文1は453点、最低点は文2の358点に対して、文1は351点、平均点は文2の379点に対して、文1は378点です。

文1は、主に法学部に進学し、中央官庁や法曹界に就職し、日本の秩序を形作る人財を供給してきています。一方文2は、主に経済学部に進学し、都市銀行や生保、商社、鉄鋼などの基幹産業の幹部となる人財を供給してきました。その中でも法学部は、理系の医学部に対抗する文系のエリート集団と言われてきました。これが入試の合格点で文2に抜かれたことは、若者に意識の変化が起きていることが伺えます。それをもたらしたのは、昨年起きた森友文書改竄事件や忖度事件での官僚の情けない姿を見て、文1経由で官僚を志す若者が減ったからとの論評も見受けられます。

それももちろんあると思いますが、最大の原因は、東大出身の成功したベンチャー企業経営者が目立ち始めたからではないかと思います。以前は東大を出て民間企業に就職する場合、文系なら大多数が銀行、商社などの大企業で、ベンチャー企業の起業を目指す人は少なかったのですが、最近はベンチャー企業を起業し、IPOまで行く人が増えています。ライブドアの堀江元社長が火付け人かも知れませんが、ガンホーの孫泰三元会長、MIXIの笠原会長、ユーグレナの出雲社長、オイシックスの高島社長、ライフネット生命の岩瀬社長、サンバイオの川西会長や森社長など錚々たる顔ぶれです。自分の才覚で若くして大資産を築けることから、これ以上魅力的な進路はありません。これまでのように、中央官庁に行って政治家に顎で使われ、挙句の果ては忖度して辞職では報われません。また、大企業に行っても、これから待ち構えるのは縮小の道であり、明るい将来像は描けません。これに対して、東大生は、マーケット分析力、リスク分析力、資金調達のためのプレゼ資料作成力およびプレゼ能力などベンチャー起業家に必要とされる能力を兼ね備えており、ベンチャー起業家こそその能力が最大限発揮される職業であることが認識されてきているのです。しかし、頭の良い東大生は、学生から直接ベンチャー企業を起業して成功するとは思っていません。先ずは、事業の全貌を知るために、外資系コンサル会社に就職します。そこでは、大企業のコンサルを行っており、事業成功のために必要となることが学べます。そこで成功のコツをつかんで起業するというのがベンチャー起業家として成功している東大卒の成功パターンです。

東大文系の就職先では、外資系コンサルの人気が高いと言われており、文1と文2の合格点の逆転は、東大出身者のベンチャー起業家としての成功が大きな影響を与えている可能性が高いと思われます。

そもそも東大に限らず法学部が文系最難関となっていたことがおかしいのです。法律は社会の規範、ルールを明確化したものであり、言わば社会の檻です。この檻をはみ出したら処罰しますよと決めたものです。檻を決めるためには、多くの人を納得させるための理屈が必要であり、それを学ぶのが法学部です。これは法理と言われるものであり、刑法で言えば、構成要件該当、違法、有責(故意、過失)などの観念や考え方を頭に叩き込むことになります。その結果、それを一定基準以上頭に叩き込んだ人が法曹や中央官庁のキャリア官僚になります。こういう人が法学部出身の優秀な人と見なされるわけですが、こういう人たちは、法理の囚人とも言えます。昨年来目立つ官僚不祥事は、法理の囚人の本質を良く表しています。この法理は、念仏みたいなもので、何回も繰り返すことで頭に刷り込まれたものであり、実体があるわけではないので、良いようにも悪いようにも使えるのです。

法理の囚人の最大の欠点は、法律を社会の最上位に置くことから、社会を変革する力がないことです。創造性やイノベーションを起こす能力がないのです。だから法曹出身の政治家は多くいますが、首相は出ていません。法理に囚われているから、よりよい社会への変革が出来ないからです。首相官邸が弁護士事務所や裁判所のようになってしまうのです。

これらを考えれば、法学部が文系最難関というのが間違いだったことが分かります。

今後東大では文2と文1の差は広がるばかりでしょうし、全国の大学でも法学部人気が低下していくと思われます。大学の文系学部は、価値を創造できません。大学に行くなら、価値を創造できる理系だと思います。