新聞は有害、考えなくなる

新聞を止めて10年近くなります。会社務めの間は、日経新聞を購読し、隅から隅まで読んでいました。また会社では、全国紙全紙に目を通し、日経産業新聞や日刊工業新聞などの専門誌もチェックしていました。だから、新聞に載っている情報は、全て頭に入っているという自信がありました。

会社を辞めて暫くして新聞も止めました。一旦生活費を絞り込もうと考えたら、新聞を止めようとなったのです。最初はそれまで頭に入っていた情報が入らなくなって、少し不安になりますが、生活には全く支障はありません。むしろ余計な情報が入らなくなって、煩わされることが無くなる感じです。それでもテレビを付ければ、ニュースが流れてきますので、情報不足という感じはしません。また、新聞を見ない分ネットを見る時間が増えます。ネットではそれまでの習慣から新聞の電子版は頻繁にチェックします。最近は有料記事だらけで、読めるのは、見出しと少しの記事だけが多いですが、情報としてはそれで十分です。何が起きたかが分かれば十分です。有料記事は先ず読む気が起きません。詳しい情報ならネットで検索すれば、無料の情報がたくさん提供されています。本当に何かに使う情報なら、新聞記事より深い情報をネットなどで取りに行かないと役に立ちません。

今思うと会社員時代に読んでいた新聞は、精神安定剤だったような気がします。世の中に起きていることは何でも知っているという安心感になっていたように思います。しかし、その日に読んだ新聞記事の95%は役に立たない情報です。処方された薬が効く人は、2,3割と言いますが、それより効き目がない情報を頭に入れていることになります。

新聞記事は、新聞記者が報道して欲しい人から依頼されて書いた記事が殆どです。例えば、政府や官庁、国会議員、検察、企業がある目的のもとに記者に情報を提供し、書いてもらっています。新聞記者が独自取材で書く記事と言えば、たまたま出くわした交通事故くらいしかないと思います。新聞記事は、それくらい操作された情報であることは間違いありません。良い例が日産のカルロス・ゴーン容疑者に関する情報です。新聞記事の殆どが検察関係者か日産関係者から出た情報です。彼らは裁判でゴーン容疑者を有罪にしないととんでもないことになるわけで、国民にゴーン容疑者は悪い奴と思われる情報を新聞記者にリークし、書かせているのです。裁判の判決が出るまでは推定無罪という原則があるにもかかわらず、新聞記者は、それらの情報をそのまま記事し、まるでゴーン容疑者が犯罪行為を行ったのは間違いないような状況を作り出しています。しかし、事実関係を自分で分析すれば、この事件は犯罪には問えないことは自明のことです。例えば、有価証券報告書虚偽記載については、ゴーン容疑者が将来受け取ることになっていた報酬約92億円を記載しなかったというものですが、ゴーン容疑者が将来受け取る根拠とされるゴーン容疑者と日産との間の契約が日産の取締役会で承認されていないため、有効に成立していません。従って、約92億円については、ゴーン容疑者が確実に受け取れるものとなっていないのです。その為、有価証券報告書への記載義務は生じておらず、この犯罪は成立していません。それに、この件は、ゴーン容疑者が約92億円を受け取っていないことから、日産および株主、債権者は得をしており、誰にも損害が生じていないのです。考え方としては、有価証券報告書虚偽記載罪は、有価証券報告書の真正を保護法益としており、損害の発生は必要としないとなりますが、やはり誰も損害を受けていないのに逮捕するのは行き過ぎです。それに本件は、形式犯罪であり、司法取引で共同責任者である西川社長やその他の担当役員および監査役の責任を免除するのは制度の乱用です。

こういう点は一切考えず、検察や日産関係者からの情報を一方的に書く新聞は、冤罪作りの共犯と言えます。このような新聞の毒が全身に回っているのが新聞をよく読む人たちです。新聞をよく読む人たちは、頭をコンピュータのハードディスクとして使っている人たちで、言うことは新聞記事の請け売りになっています。新聞を止めれば、自分で事実を探し出し、考えるようになります。