学術会議問題、「違憲違法」は「オオカミが来るぞ!」と同義?

日本学術会議が推薦した委員のうち6名を菅首相が任命しなかった問題で、学者や文化人、法曹界から「違憲違法」という批判が続出しています。学者の中には法学の研究者も多数いるのに、「違憲違法」と言いながら誰も裁判に訴えないのが不思議でなりません。裁判はその行為により不利益を被った人しか訴えられないためだと思いますが、任命されなった6名の中には法学者いますので、この人なら訴えられるはずです。なのに、これもありません。ということは、この「違憲違法」は裁判に訴えられない「違憲違法」ということでしょうか?

これは前黒川東京高検検事長(黒川検事長)の定年延長問題でもありました。安倍政権が検察庁法の解釈により黒川検事長の定年を延長したことについて、学者や文化人、法曹関係者から「違憲違法」という声が相次ぎましたが、誰も提訴しませんでした。これは誰も訴える資格がなかったからでしょうか?違法な定年延長なら高い公務員給料が払われ、違法な公務が執行されているわけでから、誰でも訴えることができそうな気がします。結局この件では、裁判で白黒つけずに終わりました。

こう考えると「違憲違法」という言葉は、「オオカミが来るぞ!」と変わらないように思えてきます。「オオカミが来るぞ!」と何回も脅している間に誰も本気にしなくなったように、「違憲違法」という言葉を聞いても、誰も本当に違憲であり違法であるとは考えなくなります。

ここに文系学者の問題点があるように思われます。自分で証明しないのです。大体が実体のない観念論を述べており、それを自分で証明せず、最後は反対意見の相手を誹謗中傷していることが多いように感じます。理系の学者(科学者)がノーベル賞などを獲得して、主張の正しさを証明するのと大違いです。これが「違憲違法」に表れています。

学者は社会全体で扶養されている人たちですが、科学者は社会のイノベーションにとって不可欠ですから、扶養する価値があります。文系の学者は社会の仕組みや人間の営みを研究する人たちであり、文化の深みを増すことはあっても、イノベーションを起こすことはありません。従って社会に経済的余裕があるときには多数扶養できますが、これがなくなるとあまり扶養できなくなります。日本学術会議の委員で任命されなかったのは文系学者であり、社会の扶養力の低下も背景にあると思われます