日本の憲法はお題目にも劣る

私がこう考える最大の理由は、2017年12月最高裁判所が放送法を合憲とする判決を出したからです。

この裁判では,「協会(NHK)の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は,協会とその放送の受信についての契約をしなければならない」と定める放送法の規定(64条1項)が,契約の自由,知る権利及び財産権等の憲法の規定に反しないか,が1つの争点となりました。

これに対して最高裁判決では,受信契約締結義務を定める放送法の規定の合憲性判断にあたり,まず放送法が定める放送制度は表現の自由を規定する憲法21条のもと,放送を国民の知る権利を充足し民主主義発展に寄与するものとして公共放送と民間放送の2本立てとし,公共放送NHKは,民主的かつ多元的な基盤に基づきつつ自律的に運営される事業体として設立しており、その制度趣旨から,NHKの財政基盤を受信設備設置者が負担する受信料に求める仕組みは合理的であり,また受信料の支払い義務を受信契約により発生するものとして受信契約の締結を強制することも,必要かつ合理的な範囲内であるとして,合憲としました。

しかしこれは結論ありきの判決です。この裁判では、2017年の4月に法務大臣が放送法は合憲である旨の意見書を提出しています。これは法務省の法曹資格を持つ官僚が考えても違憲と判断される可能性が高いことから採られた対応です。法務行政を担当する官庁の大臣が裁判所に対して結論に釘をさすなどあってはならない行為です。そうれくらい放送法は違憲性が高ったということです。

なぜ違憲性が高いか言えば、民主国家では個人の意思尊重が最も重視されており、放送法は個人の意思に反して契約の締結を強制しています。憲法上個人の意思に反しても許される行為は限定されており、例えば義務教育を受ける義務、納税義務、刑罰を受ける義務などがあります。これは誰が考えてやむを得ないものです。しかし放送法上の契約締結義務はそうではありません。契約は個人の意思の合致で締結されるものであり、個人間の契約される結婚は男女の意思の合致でのみ可能です。これを強制したら無効かつ犯罪となります。それくらい憲法上個人の意思は尊重されています。これに対して放送法の受信契約は似て非なるものです。受信設備を設置したら受信契約を結ばなければならいとしており、これは契約と言う概念に入りません。自由意思性がないのです。これは契約と言いながら受信料の強制取立であり、実質的には税金と同じです。ならば今の憲法に定める税金として徴収し、国がNHKに交付すればよいのです。国が交付すればNHKの放送内容に国の影響が及ぶという意見もありますが、目的税としての徴収であり、国の裁量で減らすことはできず、一旦国庫を経由するだけですから、今と変わりません。これを過大視し、NHKと国民との契約と構成するからおかしくなっているのです。受信契約の締結を強制しなくても徴収方法があるわけですから、受信契約を強制する放送法64条は明らかに違憲です。

また最高裁は、放送法が施行された1950年とはNHKを取り巻く放送環境が大きく変わっていることを全く考慮していません。放送法施行当時は民放もなく、NHKが国民に情報を伝達する唯一の手段でした。従って公共性は高かったと言えます。しかしその後民間放送局が多数出来、今では衛星放送やネット放送局まであり、公共放送の役割は低下しています。実際NHKは全く見ない人も多く、そのためネットでのアンケート調査によると8割の人がNHKはスクランブル放送にすべきと答えています。このようにNHKの公共放送としての役割は低下しているのに、月2,230円もの受信料を徴収しているため、負担と便益が見合わなくなっている現実を最高裁はもっと考慮すべきでした。

最高裁は、法務省の圧力や違憲判決を出したらNHKが放送停止に追い込まれることを憂慮し、全員一致で合憲と判断したものです。この問題で全員一致の合憲判決は有得ません。そもそもこの訴訟は小法廷で審理されていたものが大法廷に回付されたものですから、小法廷の裁判官は違憲と考えていたはずですが、違憲の主張は誰1人見られません。これは最高裁内で事前に調整が行われたものと考えられます。

このように日本の憲法は、憲法の番人である最高裁でもこの程度の位置付けであり、お題目にも及びません。国会議員の中には憲法改正をライフワークと公言する人がいますが、これは満たされた人の言葉遊びです。