大阪が維新という幻覚から覚めるとき
コロナ感染者の急増で菅政権のお粗末さが露呈しています。東京都では感染して様態が悪化し救急車を呼んでも入院できない人が6割を超えているとのことです。このため痛ましい自宅療養中の死亡が相次いでいます。今月初め政府は病床が足りないとして原則中等症に至らない感染者は入院させないという方針を発表しました。しかしこれは国民の命を軽視する菅政権および自民党の体質をよく表しています。入院制限は国民を不安のどん底に落とすものであり、今のような状況で行うものではありません。東京都の場合、入院病床は約6,000床確保されているのに、使用されているのは約3,800床となっており、まだまだ空いています。入院制限を言い出す状況でもないし、救急搬送で約6割が入院先が見つからない状況もおかしいのです。更に民間病院には多数の病床が空いているのです。それを感染症は公立病院など感染症指定病院で対処すると言う平時の感染症体制を維持し、民間病院を感染症対応に組み込まないのです。これは日本医師会が反対し、自民党が日本医師会には逆らえないためだと思われます。要するに自民党政権は日本医師会の影響下にあり、国民(庶民)の命より日本医師会が大事なのです。この現実を知ると怒りがこみ上げてきます。こんな自民党は次の選挙で廃止する必要がありますし、それに近い結果になると思います。
その結果、自民党と公明党では過半数にはならず、自公連立政権は成立しません。そこで気になるのが「ほぼ自民」である日本維新の会(維新)です。維新は大阪都構想を住民投票に持ち込むという維新という言葉にふさわしい結果を出しました。大阪都構想は否決されましたが僅差であり却って存在感は増したと思われます。そのためその後の地方議会選挙では当選者を増やしています。このまま行くと落ち目の自民党に代わって保守票を集め、次の総選挙では大躍進すると思われました。しかし今年8月に行われた東京都議会選挙では議席を伸ばせませんでした(1議席のまま)。これは私も意外だったし、維新関係者もショックを受けたと思われます。ではこの傾向は東京だけかと言うと、そうではないと思われます。
大阪府では維新出身の池田市長が市長室にサウナを設置していたとして非難され辞職しましたし、維新議員が何人か問題を起こしています。これらを見ていると維新は自民党と同根であることが分かってきました。兵庫県知事選挙では維新推薦の候補が当選しましたが、これは前知事体制に対する県民の不満が大きかったせいであり、維新への支持ではないと思われます。
維新は大阪都構想で大阪市民の大きな支持を得たわけですが、この構想も冷静に考えれば、大阪府と大阪市の権限争いであり、大阪府知事になった橋本氏が大阪市の権限の大きさに驚き、大阪府の権限を大きくするために大阪都構想を考えたと思われます。東京の大学を出て、東京でのテレビ出演が多い橋本氏は、東京都へのライバル意識が強かったのでしょう。しかしこれは大阪府からの発想であり、大阪市からの発想ではありません。住民生活に直接係わる自治体は大阪市であり、大阪市こそが住民の声を直接行政に反映させることができる行政単位です。大阪府は住民と直接接しておらず、住民からは遠い存在です。だとすれば、大阪市民としては大阪府よりも大阪市こそ残すべき存在となります。従って、大阪都構想は大阪市民の圧倒的多数で否決されるべき提案でした。これが僅差になったのは、大阪市民が維新の大阪を変えようと言う情熱を評価したためと思われます。しかし大阪都構想が無くなって見ると、大阪市民および府民は維新と自民党は何も変わらないことに気付き始めたように思われます。大阪は元の木阿弥に戻ったのです。
今の大阪は東京より保守的、自民党的です。維新と大阪自民党は兄弟であり、兄弟喧嘩をしているようなものであり、この2党で議会の圧倒的多数を占める大阪は日本屈指の保守王国になっています。その結果かっての「新しいものが生まれる街」のイメージはなくなっていますし、大阪の産業は衰退を続けています。
大阪の人たちが維新に抱いた幻覚から覚めるときが来ているように感じられます。