日本サッカーサポーターのゴミ拾いには統制社会を感じる

サッカーワールドカップが開催されているカタールドーハで日本のサッカーサポーターが試合後観客席のゴミ拾いをしていることが話題になっているようです。多くは称賛されていると言う報道ですが、国内では批判する声や違った視点の声も出ています。

批判する声の代表は元大王製紙社長の井川意高氏で、日本代表の清掃の行き届いた控室については「こういうの 気持ち悪いから やめて欲しい」「ただの自己満足 掃除人の仕事を奪ってる」とツイート、スタジアムでゴミを拾う日本サポーターの動画に対しても、「これもな 他人の職を奪うな」とツイートしています。元都知事の舛添氏は「日本のサポーターがスタジアムの清掃をして帰るのを世界が評価しているという報道もあるが、一面的だ」「身分制社会などでは、分業が徹底しており、観客が掃除まですると、清掃を業にしている人が失業してしまう」「文化や社会構成の違いから来る価値観の相違にも注意したい。日本文明だけが世界ではない」と指摘しています。井川氏のツイートはかなり感情的であり、全否定ですが、舛添氏のツイートは理性的と言えます。両者の主張は、清掃やゴミ拾により職を失くす人がいることを考えるべきという点では一致しています。

私もサッカーサポーターの試合後のゴミ拾い活動には余り良い印象を持っていません。統制社会や社会主義国家を感じるからです。日本には社会的制約が多く、個人が抑圧されていると感じられます。コロナによるマスクだって外していないのは日本だけです。外さない理由はみんなが外さないからであり、これだといつまでたっても外せません。この結果日本人は世界から理性的判断ができない下等民族と見られているように感じます。サッカーサポーターのゴミ拾いには、統制通りに動く日本人の特性が表れているように感じられます。今回は代表の試合後の控室がピカピカに掃除、整頓されていて驚きましたが、これは用具担当者がやったようなので安心しました。これを選手がやったとすればがっかりです。代表選手は英雄であり、こんな几帳面な人揃いであってほしくないと思います。それに学校のサッカー部室を見ればこんな文化はないことは明らかであり、外面(そとづら)を良くしていることは明らかです。

サポーターのゴミ拾いにしても外面を気にした行動のように見えます。日本は街中にゴミが落ちていないことで有名ですが、これは利便性を犠牲にした利己主義から来ています。以前は街中に程よくゴミ箱があり便利でしたが、爆弾騒動があってからゴミ箱が撤去されてしまいました。これはゴミ箱を設置していた企業や自治体がこれを利用して自分たちの負担を減らすために行ったものです。この結果朝夕の通勤時に新聞や雑誌を買っても捨てられず、今では買わなくなっています。新聞の購読部数が減っているのはこのことも一因だと思われます。また休日に街に出てもゴミ箱がないことから、買い食いも制約されます。このように日本のゴミの無さは個人の心地よさを犠牲にして成り立っています。これが本当に良いのかには判断が分かれるところでしょうが、私はやり過ぎだと思います。

私がオランダアムステルダムに行ったときのことですが、土曜日の朝早く町に出たら紙や食べ物の包装紙や紙コップなどがまるで紙吹雪ように道路に積もっていました。汚いなと思っていたら、掃除のトラックがやって来てバキュームでこれらを吸い取り、あっという間にきれいになりました。街や人にオンとオフが感じられ、アムステムダムに心地よさを感じました。ニューヨークもこれに近いと思います。一方シンガポールは街中にゴミが落ちておらず、日本と変わらないなと思いました。そして街中の至る所に「fine$5」というような標識があるのに気付きました。「fine」は「りっぱな」とか「晴れた」とかの意味しか知らなかったので、意味が通じず戸惑いました。持参していた電子辞書で調べて「fine」には「罰金」という意味があることが分かりました。シンガポールのゴミの無さは罰金によって維持されていたのです。日本のようにゴミ箱の撤去や社会的同調圧力によってゴミ無しを実現するより、こちらの方は気持ちが楽なように感じます。

ドーハでゴミ拾いをやっているサッカーサポーターの中には手袋やマスクをしていない人も見受けられ、衛生的に危険と思われます。やはり観客に会場でゴミを散らさないように呼び掛けるだけにして、ゴミ拾いは専門の人に任せた方が良いように思われます。清掃を生業としている人がいるのは厳然たる事実です。

マスコミではこの日本サポーターのゴミ拾いに対して現地の大会組織関係者やスタッフがお礼を述べ賞賛されたとなっていますが、他の国の観客に日本のこの行動を見習う動きはありません。これはやはり清掃は観客の仕事ではない、清掃する人は他にいる、という考えがあるためだと思われます。これが世界の常識であり、私もこちらの方が好きです。