大阪の魔性

バブルが崩壊しかかった1990年頃2年間大阪の会社で仕事をしたことがあります。その会社は新設会社で、私の東京の在籍会社が一部出資したため、応援で派遣されたものです。そこで大阪と東京のビジネス風土の違いに気付かされたことがあります。

先ずは新設会社を覚えてもらうために、大阪出身の社長は、心斎橋大丸の外商部を通じて1個4万円くらいするランバンの名刺入れを購入しました。私は、これは高すぎるし、貰うと買収や便宜要請と思われ、相手に迷惑をかけるからやめた方が良いと主張しました。しかし、社長は「かまへん。ええ物やないと有難味があらへん。」と言って、実行しました。私は、「こんなもの貰えない」と突っ返されるのではないかとびくびくしながら社長のあいさつ回りに同行しました。ところが、みんなニコニコして受け取るのです。民間なら贈収賄罪の対象にならないからまだよいですが、市役所の担当課に挨拶に行くことになったときは、真剣に名刺入れは配らない方が良いと意見しました。でも社長の返事は「かまへん」でした。そして、社長が担当課長への挨拶の際に「これうちの創立記念品です。ランバンの名刺入れです。ええもんでっせ。」と言って差し出すと、課長は「そうでっか。ありがとうございます。もう一つありませんか。担当にも渡しときます。」と喜んで受け取るとともに、もう1つ催促したのです。これには本当に驚きました。当時大阪ではよく贈収賄事件が起きていましたが、当事者にとっては日常の儀礼であり、贈収賄という感覚は存在しないように思われました。

2つ目は、たかりの習慣です。社長は毎週週末、顧客の接待と称して、社長の親会社の上司や同僚とゴルフに出かけていました。プレイ代が1人4万円する社長が会員となっているゴルフ場でした。その際、もう一組社長の親会社の元部下らが参加し、それも交際費で落とすのです。従って、毎週週明けには交際費として32万円の請求書が上がってきていました。これについては何も言いませんでしたが、呆れ果てました。

3つ目は、私の派遣元の先輩に連れられていった割烹店絡みの出来事です。ある日の夜一緒に飲んでいて、先輩がもう1軒行こうと言います。連れて行かれたのは、大阪南の大きな料亭の前でした。「え、料亭に行くの?」と思いましたが、入ったのは料亭に付属した割烹店でした。玄関横には狸の置物があったように記憶しています。中は15人くらい座れるカウンターのみのこじんまりした店でした。カウンターは男のサラリーマンでほぼ一杯でした。中年の女性の店員が先輩に「Aさん、ビール?」と聞いてきましたから、相当馴染みのようでした。暫くして料亭が引けたのか女将らしい人が現われました。60歳くらいの小太りの大阪のおばちゃん風でした。女将らしき人は先輩を見つけると、「あらAちゃん来てたんか、久しぶりやな」と声をかけます、それに対して先輩は「うるせえ、ババア」と返します。相当親しい関係のようでした。その日はビール1,2本飲んで帰りました。カウンターに座ったサラリーマンもそんな感じでした。大阪でそこに行ったのはその1回きりだったのですが、東京に帰ってからそこが舞台となった大事件が起きたのです。料亭のあの女将は巨額の株式を運用していて、バブル崩壊による株価下落で、運用資金を貸していた銀行が巨額の不良債権を抱え込んだのでした。それも日本有数の大銀行が含まれていました。カウンターに座っていたサラリーマンは、銀行や証券会社の担当者だったようです。女将は、担当者を大事にし、交代の話がでると「なら取引止める」と言い、その担当者を離さなかったと言います。バブル盛んなときは、女将も簡単に資金が借りられ、担当者もいい成績を挙げられ、お互いウィンウィンの関係だったようです。そして、バブル崩壊によって、共に消え去りました。

このように大阪は、しっかりした規範を身につけていないと、感覚が麻痺するところがあります。大阪の商売人は、規範意識の弱い東京から来た担当者を見つけると、接待やプレゼント、甘い言葉などで身内同様な関係に引きずり込みます。東京でしっかりした規範を叩き込まれた人なら、「その手に乗るか」と思うこてこての手を使いますので、引っかかりませんが、それでも20,30年に1度くらい引っかかる人が出てきます。森友事件の安倍昭恵氏がこれに当たるような気がします。